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<リオ・パラリンピック期待の25歳>
山田拓朗「パラ・アスリートの矜持を見せる」
posted2016/07/28 11:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Takashi Shimizu
4度目のパラリンピックに臨む25歳。胸中にあるのはアスリートとしての揺るぎないプライドだった。
25歳にして、4度目の大舞台を踏む。逆算すれば分かるように、初めて出たのは13歳、中学1年生のとき。日本史上最年少出場記録である。
その事実を、当の本人は軽く受け止める。
「自分ではあまり気にしていないですね」
リオデジャネイロパラリンピック競泳日本代表の山田拓朗である。10年を超えて、第一線で活躍してきた。
生まれつき左腕の肘から先がなかった山田が水泳を始めたのは3歳の頃。水を嫌う息子を心配した母が、「もし何かあったら、せめて自分の命を守れるくらい泳げた方がいい」と、近くのスイミングスクールに通わせたのがきっかけだった。山田には当時の記憶はない。
「ある程度泳げるようになってからの記憶しかなく、いやな思い出はないですね。はじめは泣いていただけだったそうですが」
中1でパラリンピック初出場、ロンドンでは4位。
水泳とともにサッカーをした時期もあったが、サッカーは続かなかった。
「コンタクトスポーツが好きじゃないかもしれない。それにサッカーって、自分がうまくなったのかどうか分からないじゃないですか。水泳は新しい泳ぎを覚えたり、クラスが変わったり、分かりやすい。ある程度近くに明確な目標がある方が頑張れる」
速くなれば、それは記録となって明確に表れる。水嫌いだったことが嘘のように水泳にのめりこんでいくと、中学1年生でアテネパラリンピックに出場。自由形の50m、400mともに予選敗退に終わったが、'08年の北京大会で100m自由形5位、'12年のロンドン大会では50m自由形4位と順位を上げた。