スペインサッカー、美学と不条理BACK NUMBER
スペインとデルボスケ、黄金の8年。
眩しすぎた全盛期とその後遺症。
posted2016/07/06 17:00
text by
工藤拓Taku Kudo
photograph by
AFLO
7月4日、スペインフットボール協会(RFEF)がビセンテ・デルボスケ監督の退任を発表した。
EUROの敗退が決まったイタリア戦後の会見で、デルボスケは「私は辞めるとも続けるとも言っていない」と自身の去就について頑なに明言を避けていた。ただそれは、続投を求められていたビジャールRFEF会長に口止めされていたからであって、本人は1年以上も前から大会後の身の振り方を決めていたようだ。
2008年夏にルイス・アラゴネス前監督の後を継いで以降、デルボスケは8年の長きにわたって114試合を指揮し、87勝10分17敗という成績と、ワールドカップ初優勝、そして史上初のEURO2連覇という2つのビッグタイトルを手に第一線を退くことになった。
今回のEURO敗退を受けてもそれらの功績が色あせることはなく、国内メディアの反応も批判的な報道より黄金期を築いた功労者として讃えるニュアンスの記事が多く目に付いた。
それはまた、監督の采配以前の問題として、ボール扱いのテクニックに特化した小柄な選手たちを中盤に並べ、ショートパスをつなぎ続ける「ティキタカ」スタイルが必勝を約束するものではなくなったことを、既に多くの識者が理解していることの表れだったと言えるかもしれない。
ティキタカにプラスアルファを加えようとしてきた。
'08年夏の就任時、デルボスケはアラゴネスが確立したプレースタイルとEURO2008優勝メンバーの継続を明言することで、余計な荒波を立てることなくチーム作りをスタートすることに成功した。
だがその傍らで、彼は常にティキタカスタイルのプラスアルファとなる攻撃のオプション作りにも取り組んできた。
2010年ワールドカップのスペインは、当時隆盛を極めたバルサの選手がチームの大半を占め、ビジャを左ウイングに配置する4-3-3のシステムまで取り入れるなどバルサ化が顕著だった。だが有用だと判断すれば何でも積極的に取り入れる柔軟性に加え、デルボスケはしっかり独自色も出していた。