スペインサッカー、美学と不条理BACK NUMBER
スペインとデルボスケ、黄金の8年。
眩しすぎた全盛期とその後遺症。
text by
工藤拓Taku Kudo
photograph byAFLO
posted2016/07/06 17:00
スペインの黄金時代は、8年前のEURO2008の決勝T初戦、PKで勝利したイタリア戦で始まり、今大会のイタリア戦で終止符が打たれた。
2010年W杯、2012年EURO決勝がピークだった。
その1つは、アラゴネスの指揮下では淘汰されていたサイドアタッカーだ。就任初戦で抜擢されたディエゴ・カペルを筆頭に、デルボスケの下では縦への突破力に優れた快速ドリブラーが重用され、南アフリカではヘスス・ナバスがジョーカーとして度々重要な役割を果たすことになった。
ブスケッツとシャビ・アロンソの併用にも並々ならぬこだわりを見せた。2人はより攻撃的なメンバー構成を望むメディアから度々批判の対象となっていた。だがW杯が終わってみれば、決勝トーナメントの4試合全てを無失点に抑える上で欠かせない貢献を果たし、以降批判の声はぴたりと止んだ。
EURO2012ではビジャの長期離脱後にセンターFWを務める代役の人選に悩み抜いた末、セスクをセンターFWとして起用するゼロトップシステムをぶっつけ本番で披露してライバルを驚かせた。
この大会のスペインはボールを支配する割にチャンスを作る回数が少なく、「守りのポゼッション」、「退屈なパスサッカー」などと揶揄されたが、そんなイメージもイタリアに4-0と大勝した決勝のインパクトで吹き飛ばしてしまった。
だがパーフェクトなプレーに肉薄したとまで言われたこの試合を境に、向かうところ敵なしだったラ・ロハのフットボールは徐々に行き詰まり始めた。
気づけば、ポゼッションそのものが錆びていた。
2013年のコンフェデレーションズカップでは決勝でブラジルの勢いに圧倒され、瞬く間に3失点を喫して完敗。1年後のワールドカップではティキタカスタイルとは異質の存在であるジエゴ・コスタを前線の核に据える賭けに出たが、コスタの度重なるケガもあり失敗に終わった。
以降の2年間は「プランB」の欠如が指摘されたブラジルでの反省から、4-2-3-1や4-4-2などのシステムを繰り返しテストし、これまで3枠だったセンターFWを1人削ってでも、異なる特徴を持つサイドアタッカーを複数揃えた。だが蓋を開けてみればオプション以前の問題として肝心の「プランA」、つまり質の高いパスワークによるボールポゼッションという大前提の方が崩れてしまった。
弱小国グルジア相手にまさかの完封負けを喫した直前のテストマッチは、今思えば、EURO本大会でのスペインの苦戦を予告する一戦だった。当時は本番へ向けて気を引き締めるための警告くらいの感覚で受け取られていたが、それが集中力や意識だけの問題ではないことは、同様の弱みを露呈したチェコとの初戦で早くも明らかになった。