野球善哉BACK NUMBER
球場の食堂で目撃した山本昌の気遣い。
32年の現役生活を支えた実直な姿勢。
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byKyodo News
posted2015/12/31 12:00
現役最終登板で、山本昌は涙を見せた。しかし多くの野球ファンが彼を思い出す時、その表情は底抜けに明るい笑顔なのではないだろうか。
登板できなかった2011年、引退を決意していた。
思い起こせば2011年の引退危機の時も、彼を救ったのは人としてのあり方だったという。
2011年の6月に膝を痛めていた山本昌は、一軍はおろか、二軍ですら登板がなく、シーズンを終えた。そのとき、山本昌は引退の決意を固めていた。まだ、数々の最年長記録をマークする以前のことである。
ところが、球団から強い慰留にあったのだ。
山本昌からすれば、考えられないことだった。その時点で年齢は46歳。体力的にも限界だろうと誰もが思っていて不思議はない。それなのに球団からは、「球団最多勝利記録を目指していいんじゃないか」と言われたのだ。
「この年はファームでも投げられなかった。だから、引退を申し出たんです。ところが、球団はそれでも契約してくれるというんです。確かに、自分の個人的な記録というのがありました。けど、それだけじゃ契約はしてくれないはずです。その時に思い当たったのは、怪我をしても、まじめに練習だけはやっていたからじゃないかなと。もがいて練習している姿を誰かが見てくれていたのかなって。ベテランだからといってすぐに練習を切り上げていたりしたら、おそらくダメだったでしょうね。誰かが見てくれて『もう一年やれ』と言ってくれたのかなと」
2012年の復帰から、数々の記録を達成した。
2012年に復帰を果たすと、それから3年間で9勝を挙げた。
セ・リーグ最年長登板、最年長勝利記録、同年には杉下茂氏の持つ球団最多勝利数を挙げ、2014年にはNPB史上最年長試合出場記録と最年長勝利記録を樹立した。そして今年、シーズン最終戦の広島戦に先発、敵地でありながら多くのファンに見守られ、50歳の登板を果たしたのだった。
ただ目の前の復帰を目指して、一生懸命にやりきる。その姿勢が数々の「最年長勝利記録」を後押ししたのである。