プロレスのじかんBACK NUMBER
誰も見たことない光景を見せてやる!
鈴木みのるvs.ノア、衝撃の結末へ。
posted2015/12/08 13:30
text by
井上崇宏Takahiro Inoue
photograph by
Essei Hara
2015年、鈴木みのるはプロレスリング・ノアという“伝統”のリングで「新たなる旅の年」を過ごしてきた。鈴木軍という大勢の仲間を連れて出た旅。8人という大所帯はかつて所属した第2次UWFの旗揚げメンバー(6人)を上回り、「ちょっとしたプロレス団体を興せる規模だ」と笑う。
「本当にさ、漫画でいう“新章”に突入したというか、そんな気分でしかなかった」
物心がついたときから漫画の中で生きてきた。『鈴木みのる物語』という漫画の脚本を書いて、構成をしてきたという感覚。少年漫画の形態自体がプロレスから取ったんじゃないかと思うくらい一緒だと思った。ウルトラマンを見ても、仮面ライダーを見ても、やられて、やられて、最後に逆転勝ち。全部プロレスだった。
まるでうまくいかなかった少年時代――。
少年時代、とても引っ込み思案な子どもだった。
本当は目立ちたいんだけど、目立とうとするとかならず仲間はずれにされた。感じのいい目立ち方がわからなかったから、友達と一緒にいてもいつもうまくいかない。
みんなと約束をして、約束通りに友達の家に行ったら誰もいなかった。そんなことが毎日のように起こったから、ひとりで遊ぶことが増えた。地面に四角を描いて、壁に向かって「ピッチャー平松」とぶつぶつ言いながらボールを投げたり、サッカーでペレが流行れば、壁にゴールを描いてひとりでドリブルシュートしたり。そんな壁と向き合う日々。まるでうまくいかない少年時代だった。
中学になると「自分が前に出るとろくなことがない」と自覚した。だから目立っている人間の後ろにいて、二番手あたりの位置に立つことを心掛けた。前に出なくなることで攻撃はされなくなったが、それは本当にありたい姿ではなかったから、そんなふうに立ち振る舞う自分が嫌だった。本当は一番前に立っていたかった。
漫画のようなプロレス。
そんな鈴木のすべてを変えてくれたのがプロレスだった。プロレスを観て、「プロレスラーになりたい」と思った日から全部が変わった。
友達に対して「もう関係ない。一生こいつらと一緒にいるわけじゃない」と思うようになった。親に対しても「一生この人たちに食わせてもらうわけじゃない。俺は自分の力で食っていきたい」という自立心が芽生えた。
1983年6月2日。アントニオ猪木がハルク・ホーガンにノックアウト負けを喫した日。ブラウン管の向こうで、猪木という自分のヒーローが舌を出して無様な姿を晒していた。中学3年生になってすぐの14歳のとき。