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[平成25年第89回大会優勝] 日本体育大学 「胸に刻まれた1年前の屈辱」
text by
熊崎敬Takashi Kumazaki
photograph byAFLO
posted2015/12/17 07:00
予選会から勝ち上がったチームの優勝は、箱根駅伝史上2校目の快挙。前年19位からの雪辱を果たした。
名門だからこその強い逆風。
箱根駅伝での惨敗からしばらく、チームは落ち着かない日々を過ごした。優勝9回の日体大のような名門にもなると、OB会が絶大な影響力を持つ。そのOB会が新監督の招聘に動いたのだ。
別府監督が当時を振り返る。
「箱根で指揮を執りたいOBはたくさんいます。でも、このときは後任候補が固辞されたようで。私ですか? 辞めたくはなかったですよ。母校の看板に泥を塗ったままでは終われないですから」
逆風の中で耐えていたのは、部員たちも同じだった。特に服部は何かあるたびに、黄金期を築いたOBから、
「3年生の主将なんておかしいだろう」
「おまえは上級生を舐めている」
などと手厳しく批判された。
プライドを傷つけられながらも、確実に変わり始めた。
4年生との関係も良くなり、部内は上手く回り始めていたが、夏になると後頭部が円形脱毛症になり、それがしだいに大きくなっていった。多少のことでは動じないエースが、追い込まれていた。
つらかったのは、プライドを傷つけられた4年生も同じだった。
「おまえらが頼りないから、3年生が主将をやることになったんだ」と言われたら、返す言葉がないのだから。
だが強い風当たりの中で、日体大は確実に変わり始めていた。
巻き返しの一環として、別府は西脇工を全国区の強豪に育て上げた名監督で、自身の恩師でもある渡辺公二を特別強化委員長として迎える。その目的は生活習慣の改善にあった。だが渡辺と接する中で、別府の指導法が変わり始める。
「監督としての振る舞いを学んだんです。いままでは練習中にたびたび指示を出していましたが、最初に指示を出したら終わるまで何も言わない。椅子に座って見守るのもやめて、立つようにしました。そうすることで全体を把握できますから」
監督が一歩引いたことで、練習の空気が変わり始めた。監督の指示を待っていた部員たちが、積極的に声を出すようになり、自分の頭でレースプランを考えるようになったのだ。