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あいさつ代わりには衝撃が強すぎる。
巨人1位・桜井俊貴の18奪三振ショー。 

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氏原英明

氏原英明Hideaki Ujihara

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photograph byKyodo News

posted2015/11/30 10:40

あいさつ代わりには衝撃が強すぎる。巨人1位・桜井俊貴の18奪三振ショー。<Number Web> photograph by Kyodo News

桜井俊貴が1位指名されるとは、1年前までほぼ誰も考えていなかった。しかしもはや彼の力を疑うものはいないだろう。

大学3年で突き当たった145kmの壁。

「公立から私立大に来て、最初はしんどかったです。練習内容の濃さが違ったし、公式戦でのデータを取ることなど、手伝いの面も含めてハードすぎました。環境の違いになれるのが一番大変でした。でも試合に出始めてから、余裕を持てるようになってきました。大学はグラウンドが広いでしすし、雨が降っても室内練習場がある。環境を有効に使うことができたので、成長につながったと思います」

 大学1年秋のリーグ戦からベンチ入り。初勝利もその時に挙げた。徐々に登板機会を増やすと3年春には6勝、防御率0.97をマークし、リーグの最優秀選手、最優秀投手をW賞。同年秋は2勝2敗と少し躓いたが、順風満帆に歩みを進めた。

 それが3年時を終えた時までの桜井だった。

 しかし、昨秋の時点で「来年のドラフト候補」として取り上げられていたものの、上位候補と呼ばれるほどではなかった。

 そこには超えられない壁があったのだと桜井はいう。

「3年秋までは順調ではありましたけど、どうしても145kmを超えられない壁を感じていました。もともと、僕は球速にはそれほどこだわってなくて、ボールのキレとコントロールで勝負したいと思っていたんですけど、ストレートが強くないとカウントが悪くなってしまって打ち取るのが難しい。野球は流れのスポーツなので、どれだけチームに流れを持っていけるかと考えた時に、空振りやファールでカウントを優位に持っていくことが必要だと感じました。そこで球速を考えるようになりました。でも、何をしても伸びようがないというくらい、145kmの壁は高かった」

プロアマ合同の日本代表で変わった意識。

 そんな桜井を劇的に変えたのが、昨秋の第1回IBAFワールドカップ21Uの日本代表選出だ。

 初のJAPANのユニフォームであったこともさることながら、当時のメンバーには桜井ら大学生だけではなく、プロも選出されていた。選手がプロアマ合同なら、コーチ陣もしかり。ここでの出会いの数々が桜井を大きく変えたのだった。

「プロの選手の体のケアの仕方、野球に対する意識が勉強になった」という桜井が、その詳細を話してくれた。

「コーチの豊田(清、巨人)さんに身体づくりと体幹トレーニングの重要性を教えてもらったのが大きかったです。土台をしっかりしないと球速はついてこないんだなぁ、と。身体を大きくすること、体幹を鍛えることに取り組まないといけないと思うようになりました。それまでは3食しか食べていなかったんですけど、5食に増やしました。身体を大きくして、それからトレーニングに時間を費やしていきました」

【次ページ】 カウントを稼ぐためにこそ、速い球は活きる。

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