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紛争で傷ついた街にアカデミーを。
宮本恒靖が架ける「サッカーの橋」。

posted2015/11/13 11:50

 
紛争で傷ついた街にアカデミーを。宮本恒靖が架ける「サッカーの橋」。<Number Web> photograph by Athleteplus

元プロサッカー選手としてFIFAマスターを合格したのは日本人初の快挙だった。

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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「現地からひっきりなしに連絡が来るんですよ」

 宮本恒靖はそう言って、携帯電話に送られてくる「ワッツアップメンセンジャー」に目を落としていた。

 現役を引退して、スポーツ学の大学院「FIFAマスター」に入学したのが2012年秋。ボールを蹴る日課が座学に変わり、10カ月にわたってスポーツの歴史、経営、法律を学んだ。

 5人のグループで取り組んだ、修士論文のテーマ。

『ユーゴスラビア紛争後に民族が分断されてしまったボスニア・ヘルツェゴビナのモスタル市に子供対象のスポーツアカデミーをつくり、スポーツを通して民族融和を進めることは可能か』

 夜遅くまで大学に残り、現実的に設立可能なプランを半年間かけてまとめ上げたレポートは実に105ページに及んだ。

 卒業の日にスイスのヌーシャテル大学で発表したこの一大プロジェクトを、彼らは「実現に移そう」と誓い合った。あれから2年が経った。当初は前向きではなかったモスタル市スポーツ協会を動かして、準備を進めてきた。そして、ようやく来年開校できるメドがついた。

アカデミーの名は「マリモスト」。

 アカデミーの名は現地の言葉で“小さな橋”を意味する「マリモスト」。ファンデーション(基金)ロゴのデザインを市の子供たちから募集し、現地に入っているFIFAマスターの同期生がその候補を宮本のもとにも送ってくれていた。

「これ、見てください。日本をイメージして空手をデザインしたものもあるんです」

 彼は口もとを緩めて、画面を押し進める手を止めた――。

 1990年代初頭、「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの連邦国家」であったユーゴスラビアは、東欧民主化の流れを受けて社会主義国家の統制が崩れ、内戦に突入した。'92年から起こったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は特に激しく、約4年で20万人の死者、200万人の難民を出した。「欧州で第二次世界大戦後、最悪の紛争」と言われた紛争終結後も、ムスリム系、セルビア系、クロアチア系など民族間には強い対立感情が残ったままだという。

【次ページ】 現地で宮本が感じた成功への可能性。

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