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長嶋茂雄が語る東京五輪への思い。
復活する野球を成功させるために――。
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph byAsami Enomoto
posted2015/10/16 11:05
長嶋茂雄氏は'04年にはアテネ五輪代表監督も務めた。
「野球をやっていて、あんな思いになるなんて初めて」
日本代表は'03年11月、札幌ドームでアジア最終予選を戦った。対するは中国、台湾、韓国。3戦全勝で予選を突破した。そのときのことを長嶋監督はこう振り返る。
「野球をやっていて、あんな思いになるなんて初めてでしたね。日本のために勝つんだ、日本の野球で勝つんだ、と。日の丸のついたユニフォームを着て、日本代表の監督になった以上、頑張らないといけないと責任感を強く意識しましたよ。ここで負けるようなプロ野球であってはいけない。そんな今まで経験したことのない非常にシビアな気持ちになりました。
ひょっとして負けてしまったら……という気持ちも実はありましたよ。普段のプロ野球では、負けたらどうしようなんて考えたこともないけど(笑)。負けることの意味合いも、勝つことの意味合いも、普段とは違う。他にはない戦いでしたね」
アテネでの本大会に向けて“ドリームチーム”を編成する予定だったが、五輪開催期間中もペナントレースが行なわれるため、1チームにつき代表選出は2人までと制約がついた。諸事情はあるにせよ、プロ野球界は五輪のために一丸となれなかった。
清宮もオコエもちょうどいい頃。
「解決しなければならない問題はいろいろ出てくると思いますが、やっぱり五輪が最優先であってほしいと思いますよ。5年後には成長してくるだろう良い選手もずいぶんといますからね。東京五輪なら清宮(幸太郎)もちょうどいい頃、オコエ(瑠偉)もちょうどいい頃。東京五輪を成功させるために、プロもアマも球界全体として協力すべきですよ」