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長嶋茂雄が語る東京五輪への思い。
復活する野球を成功させるために――。
posted2015/10/16 11:05
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph by
Asami Enomoto
オリンピックと野球。その組み合わせを語っているときのミスターは、終始あふれんばかりの笑みをたたえていた。
長嶋監督が初めて実際に五輪を観たのは、1964年(昭和39年)の東京五輪。当時、10月10日の開会式までにプロ野球もすべての公式戦を終えるように日程が組まれていた(実際には悪天候のために日本シリーズの第7戦が開会式と重なった)。そのため長嶋監督はマラソンでアベベ・ビキラが優勝した瞬間など、数多くの競技を観戦している。
初めてのオリンピック体験と日の丸が、長嶋監督の中で強烈に結びついている。
「オリンピックの舞台で見た日の丸への何とも言えない思い。今でも忘れられないね。日の丸のためにやる、勝つんだという思いを、当時の選手もみんな持っていたと思いますよ」
「うらやましかったよね。白と赤の2色だけの日の丸……」
世界中からの注目を浴びる舞台で国を代表して戦う――。そこに言葉では言い表せないほどの興奮と感動を覚えたのだという。
だが当時の野球界には、五輪はもちろんのこと、本格的な国際大会さえなかった。国を代表して、日の丸を背負って、野球で戦いたい。そんな思いに駆られていたのだろうか。
「それは当然ありました。(五輪に出られる選手が)うらやましかったよね。白と赤の2色だけの日の丸……。それに対する思いが、五輪になると自然と湧き出てくるだろうから。競技にプラスして国の代表となると、それは普段より一段高いレベルの戦いになりますよ」
オリンピックで初めて野球が種目としてエントリーされたのは、'84年のロサンゼルス五輪(公開競技)。正式競技となるのは'92年のバルセロナ五輪まで待たなければならなかった。'00年のシドニー五輪でプロ選手の参加が認められ、ついに'04年のアテネ五輪では、長嶋監督が率いるオールプロの代表チームで臨むことになった。