プロレスのじかんBACK NUMBER
オカダ・カズチカは本当に現代的か?
天龍源一郎と通底する“プロレス観”。
text by
井上崇宏Takahiro Inoue
photograph byEssei Hara
posted2015/09/15 11:30
オカダ「リングに上がれば手加減しない。どうなっても知らない」、天龍「(オカダは)天下を取った人の気持ちがわからない」とそれぞれコメント。
「痛さがお客さんに伝わらないと意味がない」
子どもの頃からプロレスに憧れていたオカダは、将来プロレスラーになる、そしていつかチャンピオンになることを夢見ていた。
「だけど、ここまでプロレス界を引っ張ったり、G1で何度も優勝するとか、そんなに凄いレスラーになるとまでは想像していなかった(笑)」と得意のビッグマウスで現在の自分を誇示する。
ファン時代から、すでにプロレスの闘いそのものよりも、より華麗な部分に心を惹かれ、ピントを合わせていた。だから「プロレスラーになって強くなりたい」と思ったことは一度もない。プロレスラーだから強いのは当たり前、その強さを見せるよりも華麗さやカッコ良さを見せていく選手になりたいと思っていたという。その思いは現在も変わらない。
とにかくカッコいいプロレスラーでいること。必殺技のレインメーカーもドロップキックも、放つときはとにかく美しさにプライオリティを置く。
「プロレス哲学という点でいえば、お客さんに痛みが伝わらない技はやらないようにしています。どんなに痛くても、その痛さがお客さんに伝わらないんだったら意味がない。本当に痛くて、その痛みがお客さんにも伝わるのが、ボクの思うプロレス技ですね。どんなにキツい技でも、お客さんに伝わらなければ、そんな技で勝つのはナンセンス」
過去の記憶をたくさん所蔵しているオールドファンたちにとっては、それらはすべて信じられない話かもしれないが、これが現在トップに君臨する男が包み隠さず披露するプロレス哲学である。しかし、記憶があればあるほど、よくよく考えてみたら「彼らのプロレス」の中にもこのような哲学が織り込まれていたような気がしないでもないと思えてくるはずだが、どうだろう。
オカダが対峙する1万人の“昭和の記憶”。
11月15日、両国国技館でオカダは天龍源一郎・引退試合の相手を務めることが決まった。
当日、会場には1万人の“昭和の記憶”を携えた観衆が、四方からリングを凝視することになるはずだ。
現時点で、その1万人の人に、オカダ・カズチカというプロレスラーはどのように映っているのだろうか? ひょっとしたら彼らにとって、オカダは絶対に認められない存在なのかもしれない。だから天龍には是が非でも一矢報いてもらいたい、そう思っているかもしれない。