プロレスのじかんBACK NUMBER
オカダ・カズチカは本当に現代的か?
天龍源一郎と通底する“プロレス観”。
posted2015/09/15 11:30
text by
井上崇宏Takahiro Inoue
photograph by
Essei Hara
かつて「“記憶”には勝てねえんだよ」と言ったのは武藤敬司だ。
一番最初に目に触れたもの、あるいは少年時代に感化されたものは、体内への染み込み方がハンパじゃない。
それがプロレスなら、ある世代にとっては馬場と猪木、また違う世代にとってはタイガーマスク、長州力、藤波辰爾、前田日明かもしれないし、鶴龍コンビや全日四天王、闘魂三銃士なのかもしれない。
「彼らのやるプロレスこそが真のプロレスであり、スタンダードであり、永遠である」、観た者の脳にはそう記憶される。
それはとてもロマンチックなことであるし、じつはファーストコンタクト=無知だったがこそゆえの誤解だったりもする。
つまり武藤が「記憶には勝てない」と言ったのは、先輩レスラーたちに対する敗北宣言ではなく、単に事実を述べただけである。現に、武藤もキャリアを重ねていくうちに、ある一定数の“永遠”を手に入れた。
“1/100”が認めたオカダのプロレスセンス。
2015年、いままさに初めてプロレスに触れた人たちにとってのスタンダードであり、おそらく永遠となる存在。それがオカダ・カズチカだ。
新日本プロレスの頂点であるIWGPヘビー級王座の現王者であり、“レインメーカー”(プロレス界に金の雨を降らす男)を自称するこの男は、甘いマスクと均整のとれたボディ、数々のビッグマウス、そして何より類い稀なるプロレスセンスで少年や女性ファンたちを魅了している。現在、新日本で棚橋弘至、中邑真輔とともにトップスリーと呼ばれる人気者である。
そんなオカダのことを棚橋はこう評している。
「ボクですらできていないことが、オカダにはできていたりする。それはきっとアメリカ(修行)で学んだことだと思うんですけど、会場の雰囲気を察知する能力の高さ、テレビ放送を意識した動きだったりが自然とできている。それはカメラが抜きやすいように無駄な動きをしないということだったり、技と技の間のテンションの維持。これはなかなか並みのプロレスラーにできることではないんです。コーナーポストに上がって、サッと降りないのはボクとオカダだけとか。そこは映像で見せるのではなく、ひとつの印象に残る絵を見せているんですよね」