サムライブルーの原材料BACK NUMBER
日本代表、国内組に最大の危機が。
小笠原、遠藤の偉業を今こそ考える。
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byNaoya Sanuki
posted2015/08/26 11:10
遠藤保仁、小笠原満男、中村憲剛。つい注目が集まる海外組の陰で、彼ら国内組も確実に日本代表を支えたメンバーであった。その志を忘れてはいけない。
ドイツW杯前に小笠原が語っていたこと。
今回のコラムを書こうと思い、古い取材ノートを引っ張り出してきた。2006年4月、ドイツW杯に向けたインタビューをした際、当時27歳の彼はこう言っていた。
「欧州から(選手が)来れば、出られなくなる。世間から見たらそういった選手たちが来たら、見たいというのは分かります。(試合に)出る出ないはジーコが決めることだし、悔しさはあるけど、そこから頑張ればという気持ちがあった。何かしなきゃいけないという思いがあって、グラウンドで結果を出すのはもちろんだけど、合宿でも走りひとつ、シュートひとつでも大事にしようと思ってやった。何か自分でアクションを起こさないと変えられないというのがあったんで。出た時間が少しでも、結果を出していくしかなかった。その積み重ねで、状況が少しずつ変わっていった」
国内組では久保竜彦や福西崇史の台頭もあるなかで、ジーコジャパンに明確な“異変”が起こったのが'05年2月のドイツW杯アジア最終予選、初戦の北朝鮮戦である。海外から呼び戻した中村俊輔、高原直泰が控えに回り、国内組の11人がスタメンに並んだのだ。
2人の帰国が直前だったことも理由にあるが、序列を打ち破った瞬間でもあった。小笠原はこの試合で、先制ゴールを挙げている。
出る、出ないという状況を続けながらも、小笠原は次第に先発機会を増やしていくようになっていく。ドイツW杯でチームの結果は出なかったものの、国内組の底上げこそがジーコジャパンを強靭化させていった。
遠藤保仁もまた、国内組の意地を見せた男だった。
小笠原の言葉を目にして、同じジーコジャパンで国内組の立場であった遠藤保仁が語っていたことを思い起こした。
「ピッチに立つ、立たないでどれだけの差が出るかを痛感しました。天国と地獄ぐらいの差ですよ。自分の評価がものすごく変わるというのも感じたし、だからこそピッチに立つためには何をしなきゃいけないかって、そればかりを考えていた」
走りひとつ、シュートひとつ、パスひとつ。そして出る試合ひとつ。
小笠原も、遠藤も、それは同じだった。