濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
無名の外国人選手が壮絶KOで王座!
新生K-1に息吹く“スター誕生”の夢。
posted2015/07/11 10:50
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph by
Susumu Nagao
7月4日、国立代々木競技場第二体育館で行なわれたK-1 WORLD GP -70kg初代世界王座決定トーナメントは、新生K-1にとって正念場とも言える大会だった。
ここまで開催されてきた3つのトーナメントでは、-55kgで武尊、-60kgで卜部功也と2階級を日本人が制覇。-65kgでも、左右田泰臣が決勝進出を果たしている。
しかし、階級が重くなればなるほど、フィジカルが強い外国勢が優位。日本人が劣勢と予想される-70kgがどんな内容になり、そこからどんな風景が見えてくるかには重要な意味があった。日本人が勝たなければ盛り上がらないのか、それとも……ということだ。
トーナメントは、悪い予想の通りに進むことになった。日本人4人、外国人4人のトーナメントで、1回戦を突破した日本人は牧平圭太(Krush -67kg王者)のみ。それ以外の3人は、すべてKO負けを喫してしまった。そして牧平も、準決勝でマラット・グレゴリアンに計3度のダウンを奪われてKO負けを喫してしまう。決勝はグレゴリアンとジョーダン・ピケオーの対戦となり、グレゴリアンが1ラウンドKOで優勝を果たした。
豪腕の外国勢に日本人選手は惨敗したが……。
結果から言えば“日本勢惨敗”である。しかしトーナメントがつまらなかったかといえば、決してそんなことはなかった。
7試合中、判定決着は一つだけ。グレゴリアンもピケオーもKOで勝ち上がってきた。そして決勝戦も圧巻のパンチ連打でKOである。格闘技の迫力という意味では、他の階級と比べても今回のトーナメントが突出していたのではないか。
準優勝のピケオーは“代打”でもあった。5月のKrush後楽園ホール大会で佐藤嘉洋の“相手”として初来日を果たすと予想外のKO勝利を収め、K-1出場を辞退した佐藤に代わって大舞台への切符を掴んだのだ。そんなピケオーが決勝進出を果たしたのは、一種のシンデレラ・ストーリーだろう。
優勝したグレゴリアンにしても、ヨーロッパでは活躍していたが日本のファンにはなじみの薄い選手だ。だが、なじみがあるかどうかなど、リングの上で見せる闘いに比べれば大きな意味はない。