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ACL敗退、Jでも不調、苦悩の鹿島。
育成主義が直面した壁と世代交代。
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2015/05/13 10:30
鹿島で今季からキャプテンマークを巻き、名実ともに中心選手となった柴崎岳。しかしその柴崎も、遠からず海外へ移籍することが確実視されている。
単調な攻撃と、際立つ柴崎の自信。
同点でも他会場の結果次第で突破が決まるFCソウルは、自陣を固めながらカウンターを狙うスタイル。他の韓国勢に比べれば中盤の球際の当たりは緩く、鹿島はボールを保持することができたが、それを効果的な攻撃につなげるほどの余裕はなかった。
縦に急ぎ過ぎたかと思えば横パスばかりが続くなど、攻撃の単調さが目立ち、ドリブルや飛び出しなど、リスクを負いながら勝負に出るプレーができなかった。確かに失点は恐ろしい。カウンターを狙う相手の思惑がわかっているからこそ、不用意なボールロストは避けたい。しかし慎重になりすぎれば、せっかく抜け出してパスを受けても、次の一手に戸惑っている間に、ゴール前を固められてしまう。
唯一果敢にゴール前へ飛び出し続けた柴崎のプレーには、彼が秘める自信の大きさが感じられた。この試合途中出場の本山雅志はチームの現状を次のように語った。
「引いた相手を崩すには、ペナルティエリア内でひと工夫もふた工夫もしなくちゃいけない。縦に動いた選手を使ったら、そのあとサイドチェンジをして、相手を横に広げるとか。連動性というかコンビネーションの質を上げなくちゃいけない。1タッチプレーも少なかった。岳みたいにガリガリ行けるなら行けばいいし。若い選手はもっとチャレンジするプレーがあってもいい。それをカバーするのが僕らの役目だから」
J発足20年、鹿島は自前育成の成功モデルだった。
1993年のJリーグ発足から20年余りが経った。その長い時間の中で選手の世代交代に苦しみ、成績を落としたクラブは少なくない。
そんな中、鹿島は何度もタイトルを手にしている。本田泰人や秋田豊、相馬直樹、名良橋晃、柳沢敦と言った第1期黄金期の選手と入れ替わるように1979年生まれの小笠原、本山、曽ヶ端、中田浩二が土台となり、野沢拓也や青木剛、興梠慎三や内田篤人、大迫勇也という高卒の若手が伸びた。
東京や大阪、名古屋といった大都市をホームタウンに持つわけではない鹿島は、地元の子どもの数が少ない。静岡や千葉のように、サッカーどころというわけでもない。そのため、下部組織に所属する選手だけでトップチームを運営するには限界がある。だからこそ、東北や九州などの高校でプレーする才能ある選手を獲得し、長期的な視点で育成してきた。技量だけでなく、選手の性格も見極めて、“鹿島らしい”選手を探してきた。