沸騰! 日本サラブ列島BACK NUMBER
あなたは前田長吉を知っていますか?
戦争に奪われた騎手の数奇な運命。
posted2015/04/25 10:50
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph by
Sadanao Maeda
かつて、無敗のままダービー、オークス、菊花賞の「変則三冠」を制した、とてつもない女傑がいた。戦時中の1943(昭和18)年に変則三冠馬となり、翌'44年、11戦11勝で引退したその牝馬の名をクリフジという。
クリフジの主戦騎手、前田長吉(ちょうきち)は、ダービー優勝時、20歳3カ月だった。今なお破られぬ、史上最年少優勝記録である。彼はクリフジの11戦すべてで手綱をとった。
若くして、天才的な騎乗を見せつけた長吉はしかし、'44年秋に臨時召集され、旧満州に出兵。終戦後、旧ソ連に抑留され、シベリアの強制収容所で戦病死した。終戦の翌'46年2月28日、23歳になったばかりだった。
JRA(日本中央競馬会)が設立される前の国営競馬時代のさらに前、日本競馬会時代のことゆえ、資料が散逸し、長吉は長らく「謎の騎手」として語り継がれていた。
ある「奇跡」によって、甦った伝説。
しかし、今世紀に入ってから起きた「奇跡」が、彼の伝説を蘇らせた。シベリアから持ち帰られていた長吉の遺骨がDNA鑑定で本人確認され、2006年初夏、青森県八戸市の生家に「帰郷」したのだ。
八戸市是川の生家で行なわれた遺骨の返還式には、長吉の妹や、甥や姪、兄の孫といった親族が大勢集まっていた。
長吉の生家は、人間の居住空間と厩とが土間でつながっている、「直屋(すごや)」と呼ばれる造りになっている。返還式当日、玄関を入って左手の板の間に、長吉が愛用していた鞭や長靴、斤量を合わせるための鉛チョッキ、拍車といった遺品や、彼の写真などが並べられていた。
「前田長吉」という名と、おおまかな足跡しか知らなかった私は、表情の細部までわかる彼の写真と、実際に身につけていた品々を目の当たりにし、その体格まで具体的にイメージできたことに、少なからず感動した。
――これが前田長吉か。
震えるような気持ちのたかぶりは、10年近く経つ今も忘れられない。