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イチロー番22年目の記者に見る、
選手と記者との、理想の信頼関係。

posted2015/04/23 11:00

 
イチロー番22年目の記者に見る、選手と記者との、理想の信頼関係。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

2015年もシーズン開始早々から、その卓越した走塁意識でメジャーの話題となったイチロー。キャンプ中から迫力のある走塁を見せていたのだ。

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Takuya Sugiyama

 4月16日のニューヨーク・メッツ戦。7回表、代打で出場したマイアミ・マーリンズのイチローはあわやフェンスオーバーとなる三塁打を放ち、次打者の内野ゴロで本塁に突入した。塁間でいったんは停止するも、送球が逸れたのを見て瞬時に「GO」と判断、キャッチャーのタッチをかいくぐってホームベースに指先を懸命に伸ばした。判定は、アウト……。

 しかしマーリンズのレドモンド監督はすぐに「チャレンジ」を宣言してビデオ判定を要求、5分44秒という異例の審議となったが、最終的なジャッジは、セーフ!

 この「忍者」のような生還劇は、低迷するチームを鼓舞するビッグプレーとして、全米メディアでも大きく取り上げられた。

 そしてこのプレーは、現役最年長野手である今季のイチローのフィットネスが、いまだメジャートップレベルにあることを示してもいる。

 イチローの走塁意識の高さについては、Number876号掲載、小西慶三さんがキャンプレポート「ユルく、楽しく、イチローらしく」の中で、オープン戦での積極的な走塁を中心に、詳しく触れている。イチローを記者として長年見つめ続けて来た小西さんならではの「発見」に満ちた、刺激的なレポートだ。

まさにイチロー誕生年、小西さんの取材もはじまった。

 小西さんが、共同通信の記者としてはじめてイチローを取材したのは1994年のこと。オリックスの故・仰木彬監督の発案で登録名が「鈴木一朗」から「イチロー」に変わったこの年、イチローはシーズン210本安打の日本記録を樹立し、球界のスターに躍り出ている。まさに“イチロー誕生年”のことだった。

 いわゆるオリックス番は、この年と翌95年、計2シーズンだけ。だが別の球団の担当になっても、取材対象としてのイチローに惚れ込んだ小西さんは、「個人的趣味に近いかたち」で毎年のインタビューを続けていた。

 そして2001年、イチローのメジャー挑戦とともに、小西さんはイチロー番として、シアトルへ転勤。そこから14年、'94年から数えると21年、イチローをずっと取材し続けていることになる。オープン戦やポストシーズンを含めると、1年200試合。14年間で2800試合。通信社だからイチローに関する配信記事を1試合最低1本以上、またオフシーズンの記事(自主トレや入団会見の記事)を含めれば、“メジャー3000本”はすでに小西さんの方がイチローよりも早く達成しているかもしれないのだ。

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