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ソフトバンク連覇への“工藤イズム”。
対話力、盤石の組閣、そして厳しさ。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byKyodo News
posted2015/01/20 10:50
監督就任会見での工藤公康は、満面の笑みだった。誰よりも自分に厳しかった工藤の監督就任は、昨年日本一に輝いた選手たちにとっても大きな刺激となることだろう。
西武を戦力外になって舞い込んだ「監督就任」の話。
ネームバリューで判断すれば、工藤ほど指揮官の適性がある者は他にいないと、誰だって分かっていることだった。
現役時代は西武の黄金時代を支え、ダイエー、巨人でも日本一を経験し「優勝請負人」と称された。人的補償で移籍することになった横浜では、チームを優勝に導くことはできなかったものの、ファームでくすぶっている若手選手たちとのコミュニケーションを図ることで、選手一人ひとりの気持ちと向き合えたと、言っていたこともあった。
実績のみならず、故障した経験を踏まえて最新のトレーニング法を積極的に取り入れるなどコンディショニングの向上に努め、食事やサプリメントの摂取を含め健康管理も人一倍行なった。これらが、プロ野球歴代最長となる実働29年、通算224勝の礎となったことは言うまでもない。
その工藤に監督就任の話が舞い込んできたのは、2011年11月のことだった。
メジャーリーグ挑戦を視野に入れ、左肩のリハビリを中心にトレーニングに励んでいた工藤のもとに、翌年のシーズンから新規参入を果たすDeNAから監督就任のオファーが届いたと報道され、話題となったのは記憶に新しい。
「監督が何もしなくても成績が残せる時代ではないよ」
結果的に、工藤は監督にはならなかった。
コーチ陣の組閣を巡り高田繁GMと折り合いがつかなかったなど、工藤が監督のオファーを受諾しなかった理由について、当時いくつかの憶測が報道された。当時工藤は理由を明言はしなかったものの、しばらく経った後、自らの監督に対する想いを熱っぽく話してくれたことがあった。
「今はもう、監督が何もしなくても成績が残せる時代ではないよ。いつか俺が監督をやらせてもらえる時がきたら、根本的にチームを変えていくと思う。だから、スタートの段階で球団の方から『今の状態を変えてもらっちゃ困る』と言われてしまうと、きっと何もできなくて終わってしまうだろうね」
2012年に現役を引退してからの工藤は、評論家としてプロ野球の現場を一から見直し、筑波大大学院で最先端のスポーツ医学を学ぶなど、妥協することなく見聞を広げてきた。
だからこそ工藤は、監督像という固定観念を振り払った上で冷静に分析することができるし、「もし、自分が監督となったら」と常にシミュレーションすることができるのだ。