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<達人が教える山旅> 山野井泰史と行く奥多摩 「奥多摩もヒマラヤも同じように面白い」
text by
柳橋閑Kan Yanagibashi
photograph byKisei Kobayashi
posted2014/07/16 10:00
白妙橋を渡ると現れる石灰岩の壁。冬場は多くのクライマーで賑わう。
世界的アルパインクライマーとして知られる山野井泰史さん。
彼が普段の山登りや生活の拠点としているのは、
意外にも東京都内の“あの山”だった!
本日発売の「Number Do 達人が教える 山旅に行こう。」より、
山野井さんに奥多摩の醍醐味を聞いた特集を公開します。
彼が普段の山登りや生活の拠点としているのは、
意外にも東京都内の“あの山”だった!
本日発売の「Number Do 達人が教える 山旅に行こう。」より、
山野井さんに奥多摩の醍醐味を聞いた特集を公開します。
世界的なアルパインクライマーとして活躍し、ヒマラヤをはじめ数々の高峰で記録的な登頂を成功させてきた山野井泰史さん。当時から現在に至るまで、山野井さんが生活、トレーニング、山遊びの拠点としているのが奥多摩だ。東京の都心から2時間もあればアクセスできる手軽な山域だが、じつは達人が長年住んでも掘り尽くせない奥深い魅力があるという。
山野井さん夫婦が奥多摩に移り住んだのは1992年のことだ。奥さんの妙子さんがマカルーで凍傷を負い、山野井さんは富士山での荷揚げ中に落石に当たり、足を骨折した後のことだった。二人は退院後、奥多摩に一軒家を借り、いっしょに暮らし始めた。
「それまでは都心の安アパートに住んでたんだけど、もっと山っぽいところで暮らしたいなということで、家を探し始めたんです。その頃は定期的に東京の都心に出る用事があったし、富士山の強力(ごうりき)の仕事もやっていたんで、静岡にも出やすいところ、さらにトレーニングのために岩場があって、山道を走れて……といった条件を考えていったときに残ったのが奥多摩だった」
クライマーや山岳ガイドの多くが山梨や長野に住むケースが多い中、なぜ奥多摩だったのだろう?