ブラジルW杯通信BACK NUMBER
サッカーはどこまで科学できるのか。
データと直感、その“複雑”な関係。
text by
田邊雅之Masayuki Tanabe
photograph byGetty Images
posted2014/07/04 16:30
ブラジルvs.チリ戦に続き、激しい戦いとなったオランダvs.メキシコ戦。しかし、人間が試合を観た時の直感とデータは時に食い違うのだ。
スポーツのデータと物理学のデータが異なる理由。
この手のデータ分析は、現代のサッカー界において最も進歩が著しい分野の一つだ。事実、日本でもW杯の報道ではスタッツ(統計データ)が頻繁に引用されているようになったし、気鋭の戦術分析家として知られる英国の知人も、Opta社(イギリスのデータ分析会社)のデータをフルに活用している。戦術論の流行は全世界的な現象だが、主立った記事には、スタッツやグラフ、チャートが例示されているケースが多い。
だがデータの取り扱いには注意が必要だ。スタッツは、決して万能ではないからである。
一つ目の理由はデータの特性だ。スポーツの試合で収集されるデータは、たとえば物理の実験で得られるデータとは本質的に異なっている。
物理の実験の場合は、条件を厳密に規定できるため、誰もが実験環境を再現できるし、データを検証できるようにもなっている。
だがスポーツの場合は、天候、気温、グラウンドのコンディション、選手(顔ぶれ、年齢、体調)といったパラメーター(変数)が膨大に存在するため、同じ条件を厳密には再現できない。特にサッカーの試合は、野球やバスケットの試合に比べてもこの傾向が強い。
数を集めることでこぼれ落ちる試合ごとの特殊条件。
二つ目の理由は、データそのものの存在意義だ。むしろこちらの問題の方が重要かもしれない。
データというものは、人間の問題意識と目的があって、初めて収集可能になるし活用することができる。極論すれば物理の実験であれ、スポーツの試合分析であれ、これは変わらない。
ただし両者には大きな違いがある。物理学の実験の場合などは、サンプル数に比してデータは精緻化されていくし、より真理に近づいていくことができる。
一方スポーツの場合は、サンプル数を増やしていくことが必ずしも真理に近づく助けにならないケースがあるのだ。平均化しようとすればするほど、試合ごとの特殊条件がこぼれやすくなり、導きだされる結論が平板なものになりかねないからだ。
「データは何も教えてくれない」のである。