ゴルフボールの転がる先BACK NUMBER
米ツアーへの「経由地」という価値。
日本ゴルフ界で韓国人が減った理由。
posted2014/05/28 10:30
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph by
AP/AFLO
先を越された、と思った。
4月末、チューリッヒクラシックで韓国の盧承烈(ノ・スンヨル)が米ツアー初勝利を飾った。石川遼、松山英樹と同学年の22歳が、一足先に掲げた優勝カップ。けれど日本のゴルフファンからすれば、どうしても見過ごせないものになった理由はそれだけではない。
米ツアーで優勝経験がある日本人は1983年のハワイアンオープンを制した青木功に始まり、丸山茂樹、今田竜二の3人。そして韓国勢は2002年にK.J.チョイが初勝利を含む2勝を挙げ、2009年全米プロでY.E.ヤンがメジャー制覇。昨年、ベ・サンムンがそれに続いた。
盧の優勝は、日本勢のそれを上回る、韓国勢4人目の勝利だったのである。
ただ、今回の勝利は3人の先人とは大きく異なる点があった。それは米国にわたる前の「経由地」。チョイも、ヤンも日本ツアーでシード選手としてプレーし、それぞれ2勝、4勝を挙げて太平洋を渡った。べに至っては2011年に年間3勝を挙げ、賞金王のタイトルを手にした。
日本ツアーにほとんど出場せず、米ツアーに挑戦。
けれど、盧は違った。日本ツアーの予選会を通過した実績があるが、実際に出場した試合は、4年間で9試合に過ぎない。彼はアジアンツアー、欧州ツアーで経験を積み、米ツアーに挑戦したのだ。ほとんどの時間をドライビングレンジで過ごす練習の虫として有名で、マネージャー代わりの姉、スンウンさんと2人で世界中を転戦し、夢を掴んだのである。
年間の試合数が過去最低となり、どうも元気のない日本男子ツアー。窮状はそんな韓国若手プロの姿勢にも表れている。彼らの心境と環境にはここ数カ月で、新たな変化が生まれているようなのだ。
現在、日本ツアーを主戦場としている李尚熹(イ・サンヒ)は1992年生まれの22歳。
アマチュア時代に将来を嘱望され、ナショナルチームのメンバーにも選出。国の期待を背負い、1学年上の松山らとしのぎを削った一人だ。エリート街道を走ってきたキャリアの最終目的地は「アメリカでプレーすること」。多くの先輩プロと同様に「経験を積みたい」と、そのステップの場として日本を選択した。'12年末に日本ツアーの予選会をトップ通過してみせ、本格参戦した昨季、シード権をしっかりと獲得した。