ゴルフボールの転がる先BACK NUMBER
15歳だけじゃないアマチュア旋風!?
女子ゴルフ界の下剋上が止まらない。
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph byKyodo News
posted2014/05/15 10:40
KKT杯バンテリンレディスでは、通算11アンダーで勝みなみが最年少優勝を果たした。
元祖スーパーアマチュア、宮里藍。
「プロは何やってんだ」
アマチュア選手が活躍するたびに、ひそひそと聞こえるフレーズだ。ゴルフで生計を立てているプロたちが、そうでないアマに負ければ面目は丸つぶれ。プロとアマ、立場の違いによる“対立”の構図を煽るような風潮もある。
けれど昨今のゴルフ界の様子では、そんな見方にどうも違和感も覚えてしまうのである。
近年、スーパーアマチュア誕生の火付け役となったのは、もちろん宮里藍だ。2003年、高校3年時の秋にミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンを制し、現在の女子ゴルフ人気の火付け役となった。
当時を振り返る宮里は「私の場合、たまたまという感じが強い。ほんとに運に恵まれた」と謙遜するのだが、プロに混じって勝てた要因のひとつに、制度上の変更を挙げた。
「ちょうど私たちの世代からアマチュアの(出場)規定数が増えて、プロの試合で経験させてもらえる状況になった。それがすごく大きかったなあと思う」
「レギュラーツアーの人」のようだった宮里。
規定数とは、アマチュア選手が1年間に女子のツアートーナメントに出場できる試合数のこと。宮里が中学3年生の時、プロツアーに初参戦した2000年までは1人につき4試合に制限されていたが、翌'01年以降、大会から推薦を受けたアマチュアは、無制限に出場できるようになった。
この変更は当時の日本女子プロゴルフ協会(LPGA)の会長、樋口久子の一存によるところが大きい。「アマチュア選手に門戸を広げることで、優秀な選手を発掘したい」という思いが、21世紀の日本女子ツアーの規定を作ったのである。
「高校生の時、アマなのに『レギュラーツアーの人みたいだね』って言われたのをよく覚えている」と宮里。初優勝は、アマとして出場した実に24試合目だった。「今はそれが当たり前になってきて、アマチュアの子も、プロの試合でも臆することなくプレーできるようになってきている。それは大きいと思う」