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イビチャ・オシム、日本への提言。
「メディアも選手も監督も準備せよ」
text by
イビチャ・オシムIvica Osim
photograph byTakuya Sugiyama
posted2014/05/12 16:30
オシムは内田について「なるようになるだろう」と語っていたが……。5月12日、自身2度目のW杯代表メンバー入りを決めた。
オシムが考える、W杯代表23人論とは。
――それであなたですが……。
オシム 私はもうすぐグラーツに戻る。向こうの医者に診断を仰いで、どんな具合なのかをハッキリさせる。
――ではワールドカップ期間中もグラーツに留まるのですか、それともサラエボに戻りますか?
オシム いや、グラーツだ。
――ワールドカップの間もですか?
オシム グラーツだ。グラーツなら静かに過ごせる。プレッシャーを感じずに済む。それは選手や監督にとっては、私以上に重要なことだ。
グラーツではチームや試合、結果への関心は薄い。サラエボではそれらから逃れられない。周囲を熱狂的なサポーターに囲まれ、毎日のように会見を開いてすべての質問に答えねばならない。誰もが説明を求めるからだ。どうして勝ったのか、負けたのか、こんな内容になったのは何故か、こういうプレーをした理由は何なのか……。すべてだ。
グラーツは違う。家で静かに友人たちとテレビを見ていられる。その方がずっといいだろう。私にとっても誰にとっても。サッカーをよく知る人間が傍にいれば、どうしてもいろいろ知りたがる。すべてに答えを求める。
――とりわけ大会中は、みんなファナティックになるでしょうから。
オシム だれもが一喜一憂する。サポーターやメディア、選手ばかりでなく、一般の人々もだ。
オシムがユーゴスラビア代表監督として臨んだ'90年W杯。
――それではあなたがユーゴスラビア代表監督として'90年イタリア・ワールドカップに臨んだときは、発表のひと月前にはすでに選手のリストが頭の中にありましたか?
オシム われわれは一丸となって問題に対処した。選手も監督も誰もがプレッシャーにさらされた。それはもう話しただろう。ノーマルに仕事を進めるにはとても難しい状況だった。
――それは聞きました。
オシム 私はまずリーグ戦を中断すべきだと考えていた。かたや戦争への不安があり、もう一方で平和の象徴でもあるサッカーがあった。そのふたつが並び立つことはない。というのもその両方に選手がかかわり、すべての質問に答えねばならなかったからだ。
彼らもまた途方もないプレッシャーを受けていた。そして実際、W杯の後には家族が戦争に巻き込まれ、しかもチームメイト同士の家族が戦う関係になった。そのような状況がどれだけ厳しいか分かるだろう。彼らはもの凄くナーバスになった。とりわけ母国で起こっていることに対して。
――しかし……。
オシム 今度の大会はずっと状況がよくなることを私は願っている。戦争も終わり、選手たちは落ち着いてサッカーに集中できる。命の危険も生活を損なう危険もなく、目標に向かってまい進できる。それだけでも悪くはない。落ち着いてプレーができれば、プレーのクオリティも上がっていく。
――だから今は……。
オシム 落ち着いて集中するべきだ。選手がプレッシャーを感じることなく準備に集中できるように、彼らを静かな環境に置く。対戦相手に思いを寄せながら、少しずつ着実に具体的なイメージができるように。また彼ら自身が話し合って、相手のイメージを具現化していけるように。あるいはひとりでじっくり考えながら、相手のイメージをより明確にする。
すでにチームのことも、また選手についてもよくわかっている。どんなプレーをしてどんなアプローチをかけてくるのか。どれだけの重要性があるのか。それをさらに身体に染み込ませるために、彼らを静かな環境に置く。毎日メディアの質問に答えねばならないのであれば、とてもプレッシャーには耐えきれない。
――その通りです。
オシム これから薬を飲まないと。妻は家に戻るや否や憲兵隊のように厳しくなる(笑)。私に薬を飲ませようとする。歳はずいぶん離れているのに。