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ブライレーヴェンと過小評価。
~あの名投手の殿堂入りについて~
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph byMLB Photos via Getty Images
posted2011/01/18 10:30
再三、故障に見舞われたが、息の長い活躍を続けた名投手。1989年にはカムバック賞を受賞
2011年1月、バート・ブライレーヴェンとロベルト・アロマーが野球の殿堂に入った。
わけても私が嬉しかったのはブライレーヴェン(日本の新聞はいつまで「ブライルベン」と表記するつもりだろうか。2歳でカナダに移住し、5歳から南カリフォルニアで育っているが、彼はオランダ生まれだ。アメリカのテレビも、「ブライレヴェン」とか「ブライレーヴェン」と発音している)の殿堂入りだ。
私が彼の存在に気づいたのは、そんなに昔のことではない。1980年代中盤、衛星放送が日本で普及しはじめてからのことだ。
1951年生まれのブライレーヴェンは、選手生活の晩年にさしかかっていた。当時はたしか、古巣のツインズに戻っていたはずだ。
殿堂入りの資格を得るも、不人気で影が薄くなっていった。
ブライレーヴェンの武器は大きく割れるカーヴだった。いや、割れるというより急に落ちる感じで、昔風にいえば「懸河のドロップ」に近い。当然、奪三振の数も多かった。
ただ、彼は地味な球団を渡り歩いていた。19歳の大リーグ・デビューは相当に早いが、ツインズ→レンジャーズ→パイレーツ→インディアンズ→ツインズ→エンジェルスといった経歴を見ても、大都会の球団とはほとんど縁がない。つまり、ブライレーヴェンはメディアの注目を集めやすい投手ではなかった。
その境遇は、殿堂入りの資格を得てからも影を落としつづけた。
'92年を最後に引退した彼が殿堂入りの資格を得たのは'98年からだった。ところが最初の投票で、ブライレーヴェンは17.5%という低い数字しか得られなかった(殿堂入りするには、全米野球記者協会に所属する投票者の75%以上の得票が必要とされる)。しかも2年目、得票率は14.1%に低下した。
通常、このパターンでは殿堂入りはむずかしい。早々に資格を失うか、ずっと低迷したまま球史の薄闇にまぎれてしまうかだ。
ただ、ブライレーヴェンの成績は立派だった。23年間働いて287勝250敗。通算防御率=3.31、通算奪三振数=3701(史上5位)、通算完封数=60(史上9位)という数字だけを見ても、並の投手でないことは一目瞭然だ。完封数などは、存命中の投手のなかでは、トム・シーヴァーとノーラン・ライアン(ともに61完封)に次いで第3位にランクされる。