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<HONDA Method> ソルティーロが本田圭佑を超える日 連載第9回 「モノクロの世界にカラーを」 

text by

榎森亮太

榎森亮太Ryota Emori

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photograph byHONDA ESTILO

posted2013/10/29 06:02

<HONDA Method> ソルティーロが本田圭佑を超える日 連載第9回 「モノクロの世界にカラーを」<Number Web> photograph by HONDA ESTILO

東京ヴェルディのスポンサーである中央高等学院は9月29日に国立競技場でGREEN DAY2013を開催した。榎森も熱弁をふるう。

高校生を相手に自分の半生を赤裸々に明かした1時間半──。
16歳での高校中途退学からソルティーロ立ち上げまで。
生徒たちの反応はいかに?

 10月2日のCLで技ありのゴールを決めた本田圭佑に祝福のメールをしたときのことです。「まさかあのファーストタッチから左足のアウトで打つとは思わなかった」と告げると、「深夜に起きて悠長に試合を観るくらいなら、夜更かしせずに朝早く起きて、しっかり仕事をしろ!」といわれてしまった……まあ、彼らしい反応ですが(笑)。

 肝心の仕事と言えば、9月末に中央高等学院という通信制高校のサポート校の「GREEN DAY」という催しの一環で特別授業の講演をする機会がありました。テーマは「スポーツマネジメント」。本田のマネージャーを務めた経験を買われたのでしょうが、僕は開口一番、「今日はスポーツマネジメントの話はしません。僕自身がどう生きてきたかを君たちに聞いてもらいたい」と宣言した。

高校中退後、モノクロの自分を変えてくれた出来事。

 何らかの理由があって通信制の高校に通う生徒たちの中には心にトラウマを抱えた子がいるのも事実です。実は僕も東海大山形高校を中途退学し、半年以上フラフラしていた時期がありました。様々なアルバイト職を転々としながら、夜な夜な悪友たちと遊び歩く日々。そんな典型的な根無し草が、いかに再起し、プロサッカー選手を目指して各国を巡る過程で本田と出会い、一緒に仕事をするようになったのか――それを伝える方が、生徒たちの心に響くのではないかと考えたのです。

 空白の時期、僕の心を占めていたのは「自分だけが白黒の世界」に生きていて、自分だけが止まっている感覚です。そこに色を与えてくれたきっかけは、高校1年の夏合宿を行なった苗場のペンションを訪れた時でした。16歳の6月、ふと思い立って一人旅に出た僕は、山形から東京、京都を経て、新潟の苗場に辿り着きました。

【次ページ】 「もう一度、サッカーやりたい」気持ちと向き合って。

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