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<THE DAY 2010> 青木宣親 「己の才気を証した日」 ~9月26日:2度目の200本安打達成~
text by
青島健太Kenta Aoshima
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2010/12/09 00:00
偉大な記録は、当たり前のように静かに打ち立てられた。9月26日、青木宣親はプロ野球史上初、2回目の年間200本安打を記録した。
この偉業が大きく騒がれなかった背景には、3人の存在がある。史上最大の下克上を果たし206本を打ったロッテの西岡剛。イチローの210本を抜いて214本の新記録を作った阪神のマット・マートン。そして最多安打の本家イチローが3日前にMLBで10年連続200本安打を達成したことが、青木を小さなニュースにしてしまった。
しかし、彼が西岡やマートンと決定的に違うのは、これが2回目ということだ。イチローですら、日本では200本安打は'94年の1回だけ。その210本を「無邪気に野球をやっていたときの記録」と位置付けるイチローの言葉が、狙って打つことの難しさを物語っている。なぜなら、相手から執拗にマークされる日本では、露骨に厳しいコースを攻められるからだ。事実、イチローの死球は翌'95年に18個に増加。今年の青木も18死球だった。ちなみに西岡は4、マートンは3死球しかない。
2度目の偉業達成後、イチローが語った祝福の言葉。
青木の打撃開眼は、最初に200本超えを記録した'05年の春に遡る。前年、新人としてファームで首位打者に輝いた青木は自信を持って新シーズンを一軍で迎えた。ところが開幕からさっぱり打てない。それどころかバットに当たらず三振の山を築いていく。叩きつけるバッティングでゴロを打ち俊足を生かすのが彼のスタイル。ところが、ゴロも打てないのだから、まったく打つ手がない。
このとき青木は、常識の真逆を敢行する。本人曰く「上から叩いてもダメなので、下からしゃくりあげるくらいのつもりで振ってみようと思ったんです」。すると、どうだろう。これが自身の感覚にぴったりくる。ボールを十分に引き付けて身体の前で自在に対処できる「間」が手に入ったのだ。
本人はその感覚を「テニスのラケットのようにボールを面で打てるようになった」と言う。上から叩く斜めの軌道だと、ボールと出会う接点は一点しかない。ところが下から振ろうと意識することで、バットは早めに水平軌道に入り、ボールを線でとらえることができるようになったのだ。
2度目の偉業達成後、イチローは「打席に入ることの怖さを知ったうえでの200本なのだから、すごいことだよ」と祝福した。200本を目標に据え、それを達成することの難しさを知る者だけが感じる、怖さと共感がそこにある。孤高のイチローの背中を青木がとらえた日とも言えるだろう。
青木宣親(Norichika Aoki)
1982年1月5日生まれ、宮崎県出身。早稲田大学卒業後、ドラフト4巡目でヤクルトに。'05年、イチロー以来2人目となる年間200本安打を記録。今年、209安打でプロ初2度目の200本安打を達成した。175cm、80kg