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<東京五輪・名プレゼンの背景> 佐藤真海 「弱さと向き合ってきた人間として」
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph byNanae Suzuki
posted2013/09/26 06:01
2013年9月8日、日本中が歓喜した東京五輪・パラリンピック開催決定。
人々の心を動かしたのは、最終プレゼンに臨んだ佐藤真海の言葉だった。
病魔、震災……困難を乗り越えたパラリンピアンが夢見る7年後の未来とは。
人々の心を動かしたのは、最終プレゼンに臨んだ佐藤真海の言葉だった。
病魔、震災……困難を乗り越えたパラリンピアンが夢見る7年後の未来とは。
<私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。それは、2020年東京大会が世界に広めようと決意している価値です>(プレゼンテーションの日本語訳、以下同じ)
東京五輪を呼び寄せた日本のプレゼンテーション。そのトップバッターとして、会場の雰囲気を大きく変えたのは、3大会連続でパラリンピックに出場しているロングジャンパー、佐藤真海だった。
3月のIOC評価委員会が終わった後に、最終プレゼンテーションでも挨拶をしてもらうかもしれない、と、打診されていたんです。「突然の抜擢」と言われているんですけど、自分ではあの場で話をすることを意識して英語の練習もしてきたし、覚悟はあったんです。
でも、まさかトップバッターとは思っていなくて(笑)。ブエノスアイレスに向かう1週間前にそれを言われてビックリしました。東日本大震災後に「スポーツのチカラ」をテーマに、英語のスピーチをした経験を招致委員会の方々に評価してもらっていたのかもしれません。
プレゼンは他のスピーカーの紹介を含めて4分間しかありませんでした。でも、普段学校などに呼ばれて子どもたちに話しかけるときのようにやろうと思っていました。