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日本人までをも魅了した、
美しきゴールと真摯な生き様。
~デル・ピエーロが綴った「心得」~
text by
豊福晋Shin Toyofuku
photograph bySports Graphic Number
posted2013/08/04 08:00
『デル ピエロ 真のサッカー選手になるための10の心得』 アレッサンドロ・デル・ピエーロ著 豊福晋訳 文藝春秋 1200円+税
初めてデル・ピエーロを見たのは、今から18年前のことだ。テレビ画面の中で軽やかな動きを見せる、くるくるとした髪の青年に魅せられるのに時間はかからなかった。
本書でも触れられている、フィオレンティーナ戦で決めたアウトサイドでのループシュートの鮮やかさに驚かされ、高校の校庭では誰もがデル・ピエーロゾーンからシュートを打ちたがっていた。'90年代半ば、日本で最も人気のある選手だったと思う。お金を貯めてユベントスのユニフォームを買い、イタリア語を学び始めたのも、ちょうどその頃のことだ。
しかしそんな華やかなプレーの裏には、デル・ピエーロというサッカー選手が抱えていた苦悩も存在した。本書に綴られた彼の言葉をひとつひとつ訳していく中で、最も心に響いたのは、彼がピッチの上で成し遂げてきたことよりも、むしろその向こう側にあるものだ。
ケガからの復帰後、不振に喘ぎながらも手にした人間としての深さ。
「僕はもう流れの中でゴールを決められなくなっていた。得点はPKだけだ。それはある種の呪いのようで、大きな苦痛だった」
'98年に重傷を負った後、デル・ピエーロは思うようにプレーできない時期が続いていた。「デル・ピエーロは終わった」。アルプスから長靴のつま先まで、イタリアでは誰もがそんなことを言った。失望と批判の狭間でデル・ピエーロはもがき苦しむ。その頃のチームメイトたちとの衝突も克明に描かれている。練習場でディリービオと喧嘩し、ホテルの一角でモンテーロと向き合った。そして数年後、本当の意味で復帰した時に彼が手にしていたものは、さらに幅が広がったプレーだけではなく、人間としての深さだった。
「それには長い時間がかかるかもしれないけれど、やがてその経験は貴重なものだったということを知るのだ。自分自身に起こること、そのすべてが意味を持っていて、自分の成長へと繋がっている」
'03年、トリノでデル・ピエーロに会う機会があった。初めて1対1でインタビューができるということで、小綺麗な部屋で緊張しながら待っていた。期待はしていなかった。それまでに実際に会ったサッカー選手の態度には失望させられることが多かったからだ。