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震災、原発事故を乗り越えて――。
侍たちが力強く生きる相馬野馬追。 

text by

島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph byAkihiro Shimada

posted2013/08/02 10:30

震災、原発事故を乗り越えて――。侍たちが力強く生きる相馬野馬追。<Number Web> photograph by Akihiro Shimada

野馬追2日目に行われた甲冑競馬。宵乗り競馬と同じ1000メートルのコースで行われ、8レースに全53騎が出場した。

震災以来、3年ぶりの野馬追出陣。

 小高郷の騎馬武者の蒔田保夫さん(44)もそのひとりだ。

 蒔田さんは、震災の前年まで19年連続で野馬追に出場していた。仕事の都合で他の地域に住んでいたときも、野馬追のときだけは地元に戻り、蒔田家伝来の旗印を背負いつづけた。しかし、震災による津波で、当時20歳だった長男の匠馬(しょうま)さんと妻の両親を亡くし、喪に服すため、この2年は参加を見合わせていた。

 今年は、蒔田さんにとって、3年ぶりの野馬追出陣となった。

 騎乗馬は、去年まで現役だったレッツゴーキリシマである。2007年の朝日杯フューチュリティステークスで2着になり、10年の関屋記念を勝った実力馬だ。普段は会津を拠点に「タレント馬」をしており、この野馬追のために、祭りが始まる2日前の木曜日に呼び寄せられた。

 馬の飾りつけや、蒔田さんの甲冑の着付けなどを手伝ったのは、次男の健二さんと、匠馬さんの親友だった一刀(いっとう)弘樹さんだった。匠馬さんは小学生のときから蒔田さんとともに野馬追に出ていたのだが、健二さんと一刀さんは、まだ出場したことがないという。

夢の中に亡き長男が出てきたら旗取りに参加しよう。

 筆者と蒔田さんは、震災の年、縮小開催された野馬追の会場で言葉を交わして以来、友人として付き合うようになった。「馬」という共通の話題があったからこその付き合いで、彼が震災前の野馬追で乗った、かつての強豪マイネルアムンゼンの話だけでも、ずいぶん盛り上がった。

 大切な家族を失った悲しみが癒えていないのは伝わってくるが、それでも、会うたびに笑顔が増えている。今年の本祭りの日には、雲雀ヶ原祭場地の小高郷陣屋で、自分の陣羽織を私に着せて、「これで島田さんも侍ライターだな」と写真を撮ってくれた。

 今年、蒔田さんは、甲冑行列には参加したものの、毎年出ていた神旗争奪戦には出場しなかった。

「本祭りの前夜、細切れにしか眠れなくて、夢ばかり見ていたんですよ。その夢に匠馬が出てきて『旗取りしなよ』と言ったら出ようと思っていたんだけど、出てこなかった。だから、やめておきました」

 来年、次男の健二さんが騎馬武者としてデビューする。寡黙で優しい青年だけに、父親を喜ばせるために出場を決めたのかと思いきや、神旗争奪戦には前から興味があったのだという。

 匠馬さんの親友の一刀弘樹さんも、来年は出場するつもりだという。

【次ページ】 祭りがはじまるとすっと晴れる「野馬追日和」。

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