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代表のゴールを明け渡す楢崎正剛。
対照的な川口の決断と、川島の課題。 

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2010/09/22 10:30

代表のゴールを明け渡す楢崎正剛。対照的な川口の決断と、川島の課題。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

ポジションへの危機感が“記憶に残る試合”を生んだ。

 試合のパフォーマンスが悪ければ、ライバルと入れ替わってしまう。試合に勝つこととはまた別のプレッシャーもかかるなかで、2人はピッチに立ってきた。それが彼らの“記憶に残る試合”を生んできたとも言える。

 川口は“マイアミの奇跡”だけでなく、2004年のアジアカップ準々決勝、ヨルダン戦のPK戦で0-2の状況から相手を4人連続で失敗させた試合も有名だ。このアジアカップ前までは楢崎が正GKを務めていたが、ケガで大会に参加できなかった楢崎の代わりに控えの川口がアジアカップで先発し、優勝に大きく貢献したのだ。それからドイツW杯本大会まで正GKの座を守っている。

 そして楢崎で忘れられない試合と言えば、オーバーエイジ枠で出場したシドニー五輪準々決勝のアメリカ戦だろう。

 味方と衝突して大流血しながら、楢崎はゴールマウスを必死に守った。PK戦の末に敗れてしまうのだが、楢崎の鬼気迫る闘志がチームを奮い立たせたのだった。試合後、病院に直行して左眉付近が骨折していることが判明している。

 その後、アテネ五輪の監督を務めた山本昌邦が五輪代表のキャンプでシドニーの同じ会場を訪れた際、選手たちに「あれが楢崎が血を流してまで守ろうとしたゴールだ。しっかり目に焼きつけておくように」と語ったという。それほどのインパクトだった。

川島永嗣が日本代表の真の“守護神”になるためには?

 岡田ジャパンではW杯最終予選を4試合連続無失点('08年11月19日カタール戦~'09年6月6日ウズベキスタン戦)でW杯切符を手にするなど、日本代表にとって楢崎の安定感は欠かせなかった。岡田ジャパンを支えてきた一人だった。

 2人は数々の修羅場を乗り越えてキャリアを積んできた。どちらが正GKを務めようとも、チームの精神的な支柱であることに変わりなかった。

 楢崎が代表引退を宣言し、川口は9月の代表2連戦に招集されなかった。南アフリカW杯で活躍した川島永嗣がこれから正GKに入ることは間違いない。

 川島はシュートに対する反応やフィードなどプレー面で優れているだけでなく、味方を叱咤激励する精神的な役割としても頼もしくなってきた。その彼も'07年3月のペルー戦に初招集されて以降、W杯直前までずっとサブの日々が続いた。偉大な2人の姿勢を見て学んできたからこそ、千載一遇のチャンスを活かすことができたのだ。

【次ページ】 4年後の楢崎はまだ38歳。老け込むにはまだ早い!

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