Survive PLUS ~頂点への道~BACK NUMBER
「出会い」を力に変える男・吉田麻也。
成長続けたプレミア1年目を振り返る。
text by
西川結城Yuki Nishikawa
photograph byTomoki Momozono
posted2013/06/14 10:30
吉田は、リーグ戦最終盤の3試合は欠場したものの、31試合連続フル出場を果たすなど、監督の交代にも全く影響されずDFの中心としてプレミア残留に貢献した。
Number Webでは、雑誌と連動したウェブオリジナル企画
「Survive PLUS ~頂点への道~」として、Number本誌には
掲載されなかったエピソードや、取材の舞台裏などをお届けします。
第3回の今回は、プレミアデビューのシーズンを戦い終えた今、
激動の半年間で見せた成長の軌跡を辿ります。
激しく、刺激的なシーズンが終わった。
吉田麻也がプレーするサウサンプトンは最終的に14位となり、今季の目標であったプレミアリーグ残留を果たした。チームは一時期、12位まで浮上したものの、終盤戦で再び失速。それでも残り2試合となった第37節・サンダーランド戦で引き分け、来季もプレミアの舞台で戦う権利を手にした。
チームが苦戦し始めた終盤戦、吉田も下腹部に痛みを訴え、欠場を余儀なくされた。それまで続いていた31試合連続先発フル出場という記録も途絶え、結局最終節までの残り3試合、彼がピッチに立つことはなかった。
それでも、吉田は割り切っていた。
「もちろん出場し続けたかったけど、無理をしても仕方ない。自分が出られない試合でもチームは戦ってくれたし、残留を成し遂げた。だから自分も悔いはない。プレミア1年目の最低目標だった残留を達成できたことを、いまは素直に喜んでいます」
さらに、吉田の頭の中には、次なる戦いへのイメージが存在した。
「チームが残留を決めた時点で、僕の中でスイッチはもう日本代表での戦いに切り替わっていました。だから代表戦に自分のケガの影響がないよう、治療とリハビリに励みました」
日本人CBとして初めてプレミアのピッチに立ったこと。
6月4日、オーストラリア戦。またしても90分間で相手に勝てず、1-1の引き分けに終わったが、日本はこの結果、来年のブラジル行きの切符を獲得した。
吉田も相手ストライカーのケーヒルらと対峙し、体を張った守備を見せた。チームはアクシデント的な失点を喫したものの、要所ではしっかり守り切った。
これからコンフェデレーションズカップなど、まだまだ代表での戦いが続く。とはいえ、今季初挑戦となったプレミア、そして初めて戦ったW杯予選は、これで終わった。
その中でも吉田の最大のハイライトは、やはり日本人CBとして初めてプレミアリーグのピッチに立ったことだろう。チーム内での存在感が上昇していく上で、吉田が、強く実感したことについて振り返っていきたい。
名古屋で出会った藤田俊哉、秋田豊、楢崎正剛、ストイコビッチ……。
『人徳』という言葉がある。辞書には、“その人の身についている徳”と書かれている。一般的には多くの人に好かれ、また信頼されている人間に対して贈られる言葉だ。
吉田麻也を十代の頃から取材してきて、常に彼に対して抱いていた印象が、「人徳がある」だった。彼の周りには自然と人が集まる。朗らかでオープンマインド、そして誰に対してもリスペクトの気持ちを忘れずに接する吉田の性格も相まって、各方面で信頼関係を築いていった。
名古屋グランパスに在籍していた時代には、藤田俊哉、秋田豊、楢崎正剛という、錚々たる先輩選手たちの薫陶を若かりし頃から受けることができた。また、プロ2年目のシーズンに、クラブの伝説的人物であるドラガン・ストイコビッチが監督に就任。あらゆる注目が集まる中で彼の指導を受けた経験も、吉田にとっては大きな出会いの一つだった。
そういった名声のある人間だけに留まらず、吉田はこれまでの人生の節目、節目で意義のある出会いを繰り返してきた。そして、プレミア初挑戦の場となったサウサンプトンでも、その人徳ぶりが発揮されたのだった。