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鳴尾球場、豊中球場――
甲子園のルーツを訪ねて。
~浜風の元を知ってますか?~ 

text by

小関順二

小関順二Junji Koseki

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photograph byJunji Koseki

posted2010/07/23 06:00

鳴尾球場、豊中球場――甲子園のルーツを訪ねて。~浜風の元を知ってますか?~<Number Web> photograph by Junji Koseki

第3、9回(1917、23年)の「全国中等学校優勝野球大会」(現在の全国高校野球選手権大会)が行なわれた鳴尾球場の跡地に建つ記念碑

 先日友人と酒を飲んでいたときのこと。甲子園大会の期間中、よい席で観戦するために早朝に出かけ、行列の順番を確保した後に、開門するまでの時間を潰すのが大変だ、という話になった。しょうがないのでバスに乗って鳴尾浜まで行くことさえあるというのだから大ごとである。その友人に第3~9回の全国高校野球選手権大会(当時は「全国中等学校優勝野球大会」)が行われた鳴尾球場跡に行ったことがあるかと聞くと、「ない」と言う。それどころか、その史実を知らないという(第4回は米騒動のため中止)。

 第1回が行われたのは1915(大正4)年で、場所は豊中球場(豊中グラウンドとも言う)。ここで第2回まで行われ、第3~9回が鳴尾球場、甲子園に場所を移したのは同球場が開場した1924(大正13)年からである。

 鳴尾球場はよほどその存在が知られていないのか、初めて訪れた際、跡地がある公園事務所の職員に聞いても「鳴尾浜のほうじゃないですか」という返事。そんなはずはないと探し回ると、浜甲子園運動公園のすぐ横に球場跡地の記念碑があった。そこに記されていた碑文の一部を紹介しよう。

「鳴尾球場は一九○七年(明治四十年)関西競馬倶楽部(のちに阪神競馬倶楽部)が建設した鳴尾競馬場をその後、阪神電鉄が借り受け、同場内に開設したものである。走路の内側、約十六万五千平方メートルに二面のフィールドを設け木造移動スタンドを周囲に並べて、五、六千人の観客を収容した~」

甲子園の浜風はどこからやってくるのか?

 甲子園球場から球場跡地までの道順を辿ってみよう。

 阪神甲子園駅から真っすぐ伸びる「甲子園筋」が三塁側スタンドの向こうにあり、駅を背に甲子園筋をひたすら16、7分歩くと、その突き当りが鳴尾浜公園前で、既に海の香りがプンプン匂っている。それもそのはずで、公園の裏手の防潮堤を上がって前方を見渡せば、そこには海が広がっているのだ。

 ここから湧き起こった風が甲子園球場に向かって吹き、左打者のホームラン性の打球を押し戻しているのかと思うと感慨深い。“甲子園の浜風”と当たり前のように書きながら、その浜風がどこから来るのか考えたことすらなかったことが、ちょっと恥ずかしい。この防潮堤の手前に鳴尾球場跡の記念碑がある。

 甲子園歴史館(入場料500円)には、1942(昭和17)年当時の甲子園球場周辺の地図が展示されていて興味深い。それを見ると鳴尾球場は、現在記念碑が建っている場所ではなく、道路を挟んだ枝川町一帯にあったことがわかる。その甲子園筋の突き当たりにあったのが阪神パーク。その右横に甲子園浜海水浴場、左横に鳴尾競馬場があり、競馬場の中に間借りする形で球場が作られていたのだ。

【次ページ】 野球黎明期の痕跡を残す豊中球場跡地。

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