南ア・ワールドカップ通信BACK NUMBER
日本は戦った。チャンスはあった。
アンチ・フットボールではなかった!
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byGetty Images
posted2010/06/30 10:50
この現実を受け止めるためにふさわしい言葉が、すぐには見つからない。
胸のうちに渦巻く思いは、吹き出そうとしてもがいている。語るべきことはいくつもある。それなのに、何から語ればいいのかが、日付が変わったいまも整理できていない。
史上初のベスト8入りは、手の届くところにあった。だが、どちらかのチームのミスによって結末を迎えるPK戦は、誰かが結果に対する責任を負わなければならない。今回はその役割を、駒野が負うことになってしまった。オーストラリアとPK戦にもつれた'07年のアジアカップ準々決勝で、彼は3人目に登場してPKを決めている。ジュビロ磐田ではプレースキックのキッカーを務めることもある。PKの信頼度も厚いと聞く。6月29日は彼の日ではなかった、と理解するしかない。
日本は戦った。
“アンチ・フットボール”ではなかった。
遠藤のトップ下での起用が日本を攻撃集団に変えていた。
これまで以上に意欲的な姿勢を見せたのは間違いないだろう。岡田武史監督が「前半の20分くらい」に指示を出した遠藤のトップ下への変更。その効果がピッチ上にはっきりと表れたのは後半開始からだった。「リスクを冒してでも点を取る考えだった」という指揮官の戦う意欲の表れである。決定機と呼べるものはなかなか作り出せなかったが、自陣にステイしているだけでない試合運びは、今大会で初めてと言っていいものだった。
攻撃的な姿勢の補強材料となっていたのは、今大会でチームの強みとしてきた粘り強いディフェンスである。蓄積疲労を隠しきれないなかでのひたむきなプレーは、目を覆いたくなるようなシーンの直後にしばしば安堵を呼んだ。
闘莉王と中澤のコンビは、191センチのロケ・サンタクルスと187センチのバリオスに制空権を譲らず、後半途中から登場した193センチのカルドソからも自由を奪った。二人のセンターバックの安定感がなければ、GK川島の負担は相当なものになっていたはずだ。大会直前で守護神に指名された背番号21の好セーブは、シュートコースが限定されていたからこそのものでもある。
力を出し惜しみする選手はひとりもいなかった。
クロスに対するカバーリングが不安視されていた両サイドバックも、細心の注意を払って相手FWに対処している。そのうえで、駒野と長友はタッチライン際を精力的にアップダウンした。
力を出し惜しみする選手は、ひとりもいなかった。
体力が枯渇してもなお動きを止めない青いユニフォームからは、何かのきっかけで相手のゴールをこじ開けてくれそうな期待感が漂っていた。何よりも、大会前にうっすらと漂っていた劣等感が消えていた。グループリーグを勝ち上がったことによる自信や手応えが、2月の東アジア選手権からチームを蝕んできた不安を払しょくしたからだろう。
「パラグアイとはあまり差を感じなかったですし、そんなにやられてるという感じもしなかったです。だから、余計に悔しい部分はあります」
ゲームキャプテンを務めた長谷部は、割り切れないような表情で語った。そう、チャンスはあったのだ。