自転車ツーキニストのTOKYOルート24BACK NUMBER
お江戸に彷徨う霊を自転車で追う!?
下町に広がる歴史的名所の“異界”。
text by
疋田智Satoshi Hikita
photograph bySatoshi Hikita
posted2012/09/30 08:00
吉良上野介義央の上屋敷跡の前にて、フォールディングバイクの傑作車ブロンプトンと共に。
その昔、両国橋のたもとには色々なものが集まってきた。
両国橋を渡って、ちょいと河岸沿いを走ってみると、現在は「隅田川テラス」と呼ばれる遊歩道になっている。水上バスのステーションなどもある。お台場、浅草行き。水上交通の結節点だ。
けれど、ここは、その昔いわゆる見世物小屋が軒を連ね、庶民の下世話な好奇心を挑発する地域だったそうな。
両国だもの、相撲興行が年2回ある。もとより人が集まるお土地柄なのだ。しかし、年2回ではもったいない……ということで、それ以外の平日であっても、ここは常に賑わいのある繁華街だった。しかし、少々上品の逆の方。有り体にいうと、ちょっと下世話な方面の繁華街。
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安い芝居小屋などのほか、当時を描いた大正時代の文献によると、次のようなものが集まっていたという。
「ヤレツケ(八文で見せる歌舞音曲のようなものらしい)、鳥娘(鳥に限らず、猫、鬼など、色々あった)、阿蘭陀眼鏡(幻灯のようなものだという)、蛇使い、籠脱け、講釈場、寄席などが軒を連ね、いわゆる引つ張りの見世物を中心とせる小屋掛けが軒を並べ、講釈場のそばには、一銭床といふ理髪店が数軒散点、今日の様子とはよほど違っていたという。」(『江戸から東京へ[四]』本所・上/矢田挿雲(大正十三年)中公文庫)
今よりもはるかに猥雑で、でもちょっと楽しそうな場所だった、ということが分かってくる。
それと直接関係はないけれど、自転車で走っていると、隅田川沿いには、数々の歴史的モニュメントが多い。
たとえば橋のたもとに立てられた巨大な石碑「表忠碑」は、陸軍元帥大山巌揮毫、日露戦争で斃れた兵士のために立てられたものだ。
この両国橋は、戦争や災害の記憶、という意味では、ちょっとたまらない話が多い。それはまた後ほど。
JR両国駅は、21世紀の今も昭和の香りがムンムンです!
両国橋を渡って隅田川テラス沿いをちょいと走ってまた戻って左。すぐにJR両国駅にやってくる。
わ、いいね。この雰囲気。
石造りの両国駅は、分かりやすく戦前戦後の昭和、という雰囲気で、現在の上野駅よりもっと「ああ上野駅」な感じ。
そのすぐ横に、両国国技館がある。お相撲さんが普通に歩いてる。
で、その背後に、ややや、話題の東京スカイツリーが屹立しているわけだ。つまり、ここに来ると、両国三点セットがいっぺんに写真に撮れるよ、というわけ。
ここから、国技館を右手に見ながら、国技館をぐるりと走ると、すぐに「江戸東京博物館」のユニークかつ巨大な建物が見えてくる。
上が大きく、下が小さい。
柱で支えていない部分がデカ過ぎる。
こういうのって地震の時は大丈夫なのかしらと、いつも見るたびに思う。ところが大丈夫なのだそうだ。専門家に言わせると、耐震基準をクリアしているだけでなく、そのへんの普通のビルなどよりはるかに頑丈、というより、地震のエネルギーを逃がしやすく設計されているのだという。東京ビッグサイトしかり。こうした巨大建築物は、そのあたりは極大かつ細心の注意で造られている。
まあね、もしも大地震が首都圏を襲い、これが倒れたりしたなら、これはもう大事故も大事故、さらには「首都圏大地震の象徴的映像はこれ」として、未来永劫残ってしまうから。
やや? 江戸東京博物館の横に、まだ新しい石柱がある。大きな亀の上に載った石柱、そのさらに上に武将の銅像が立っている。
武将の名は徳川家康。ふーむ、やはりここは江戸東京博物館だからね。江戸を開府した男・家康公が睥睨しているわけだ。