自転車ツーキニストのTOKYOルート24BACK NUMBER
お江戸に彷徨う霊を自転車で追う!?
下町に広がる歴史的名所の“異界”。
text by
疋田智Satoshi Hikita
photograph bySatoshi Hikita
posted2012/09/30 08:00
吉良上野介義央の上屋敷跡の前にて、フォールディングバイクの傑作車ブロンプトンと共に。
今の日本の小学校にこそ、芥川の文学碑は必要だ!?
ふたつの巨大建造物を離れて道なりに走ると、駅前繁華街に自然に戻ってくる。両国という地域は、やはり昭和の匂いがぷんぷんする。私が密かに感銘を受けたのは、JR総武線のコンクリート土手(というのかな?)だった。
ペンキで青い窓が描かれ、その向こうに、摩天楼群、気球、ハイウェイなどが描かれている。絵の窓の向こうの未来像。
子供の頃、学年誌なんかに載っていたな。あれがそのまま現在の鉄道の下にある。
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居酒屋の並ぶ駅前を抜け、国道14号線を渡ると、墨田区立両国小学校に出る。その両国小学校の一角に、錨が2つ置いてある。日露戦争に勝利した際の日本海軍の駆逐艦「不知火」の錨なのだそうだ。
さらにこの小学校には、芥川龍之介の文学碑がある。
芥川が、かつてここに育ち、江東尋常小学校(現両国小学校)、府立第三中学校(現都立両国高校)で学んだからだ。碑に刻まれているのは「杜子春」のラストの一節である。
「――お前はもう仙人になりたいといふ望も持つてゐまい。大金持になることは、元より愛想がつきた筈だ。ではお前はこれから後、何になつたら好いと思ふな。」
「何になつても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです。」
杜子春の声には今までにない晴れ晴れした調子が罩(こも)つてゐました。
―――「杜子春」芥川龍之介
おお、思い出すではないか。
何をされても黙っておれ、と言われた杜子春が、最後の最後に「おかあさん」と口にし、現世に戻った直後のシーンだ。
子供時代、読んだときに涙したものだよ。
こういう名作の短編というのは、時をこえ、すべての世代に対しての共通体験になる。こういうのが小学校にあるというのはいいな。
ここが……忠臣蔵のクライマックスの場所? 吉良上野介の屋敷跡。
もうひとつ文学。これはもう「民族の物語」ともいうべき「忠臣蔵」のクライマックスシーン、吉良上野介の住居跡は、その両国小学校から歩いてすぐのところにある。自転車なら1分だ。
江戸幕府奥高家・吉良上野介義央は、あの殿中松の廊下の刃傷沙汰の後、この両国に住むことになった。
必然的に赤穂浪士が討ち入りを果たしたのもここだ。
物語の中では、もちろん上野介、悪役中の悪役で、どこをとってもイヤミで卑怯な爺イというだけなんだけど、実像はかなり違ったらしい。
少なくとも、領地の愛知県吉良では、領民に慈悲深い「名君」として通っているし、彼が浅野内匠頭をいびっていじめたという実際の記録は、まったくない。
いわば物語の中で悪役の濡れ衣を着せられた、と言う方が実情に近く、この吉良屋敷跡にも、そうさせられた、という悔しさのにじむ記述が多い。
かつて吉良邸は8400平米もあったのだそうだ。現在の跡地はその86分の1である。
その86分の1の中に、上野介の首を洗ったという、首洗いの井戸がある。上野介の座像もある。
座像は柔和な顔で、正面を見ている。
わしは物語の中でどのように描かれようと、そちが実情を知っていてくれれば、それでいいのだ、と言っているかのようだ。港区にある泉岳寺とは、また別の味わいが、こちらの史跡にもある。
ここを離れて、さらに自転車で散策すると、もう行き当たりばったりだって、色々なものに出会う。
勝海舟の生誕地があり、斎藤緑雨の文学碑があり、安田庭園があり、なんだか、普通のところなら、それぞれが「第一等の観光地」になりそうなんだが、両国だから、あまりにありふれてる、という扱いだ。
すごいな、両国。
あと、別に歴史ものじゃなくとも、キングサイズの洋服屋さん「ライオン堂」あり(さすがは相撲の街だ)、すごい煙を吐き出す、極小ウナギ蒲焼き屋「石川」あり。なんだか雰囲気も、実際の匂いも、濃厚にかおるものがある。
両国の街角は、実に味わい深い。