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ヤクルト快進撃を支える兄と弟!?
助っ人外国人選手の名コンビ列伝。
text by
小関順二Junji Koseki
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2012/04/28 08:01
本塁打を放ったバレンティン(中央)とともに、ミレッジとつば九郎が東京音頭を踊って祝福するなど、両助っ人がチームの雰囲気を明るくしている。
日本のプロ野球界はこれまで、外国人の働きがチーム成績の浮沈に大きくかかわってきた。とくに巨人のV9が途絶えた'74年以降、外国人に対する依存度は高くなり、強いチームには必ずと言ってもいいくらい優良外国人がいた。
'75~'77年にかけて日本シリーズ3連覇を果たした阪急にはB.マルカーノ(二塁手)、85年に初の日本一に輝いた阪神にはR.バース(一塁手)、'90~'92年にかけて日本シリーズ3連覇を達成した西武にはO.デストラーデ(指名代打)、98年に38年ぶりの日本一に輝いた横浜にはR.ローズ(二塁手)、という具合である。
近年、外国人選手は契約期間が過ぎると条件のいい球団に移る傾向があり、先が読みにくい状況になっているが、チームに尊敬できる先輩外国人がいたら違う展開になるのではないか、と考えることがある。
「年齢が違う」が「ほぼ同時期に活躍した」外国人選手コンビの歴史。
単純に、尊敬できる先輩がいれば、その間だけでも一緒に頑張ろうと思うかもしれないし、その先輩が「条件(お金)だけが選択肢ではない。長く野球をやるにはどっちのチームにいたほうがいいか考えろ」と言われれば、それに従うかもしれない。
観念的に聞こえるかもしれないが、それに似た関係が'90年代までは多かった。「年齢こそ違う」が「ほぼ同時期ともに日本球界で活躍した2人」という条件で名コンビを探すと、次の8組の名前が思い浮かぶ。紹介しよう。
コンビ期間 | 在籍球団 | 先輩/後輩 | 日本での通算成績 |
---|---|---|---|
1968~71 | 東京 ~ロッテ |
G.アルトマン (外野手) A.ロペス (外野手) |
打率.309 ( 985安打)、205本塁打 打率.290 ( 801安打)、116本塁打 |
1972~75 | 大洋 | C.ボイヤー (三塁手) J.シピン (二塁手) |
打率.257 ( 382安打)、 71本塁打 打率.297 (1124安打)、218本塁打 |
1978~82 | ロッテ | レロン・リー (指名代打) レオン・リー (一塁手) |
打率.320 (1579安打)、283本塁打 打率.308 (1436安打)、268本塁打 |
1980~83 | 日本ハム | T.ソレイタ (指名代打) T.クルーズ (外野手) |
打率.268 ( 479安打)、155本塁打 打率.310 ( 863安打)、120本塁打 |
1984 | 巨人 | R.スミス (外野手) W.クロマティ (外野手) |
打率.271 ( 134安打)、 45本塁打 打率.321 ( 951安打)、171本塁打 |
1988 | 近鉄 | B.オグリビー (指名代打) R.ブライアント (外野手) |
打率.306 ( 246安打)、 46本塁打 打率.261 ( 778安打)、259本塁打 |
1993~96 | 横浜 | G.ブラッグス (外野手) R.ローズ (二塁手) |
打率.300 ( 443安打)、 91本塁打 打率.325 (1275安打)、167本塁打 |
2001~02 | ヤクルト | R.ペタジーニ (一塁手) A.ラミレス (外野手) |
打率.312 ( 882安打)、233本塁打 打率.303 (1850安打)、359本塁打 |
上記8組の助っ人コンビは、先輩が年長者というだけでなく、アメリカ球界(MLB)での実績も後輩より上である。さらにレロン・リー、オグリビー、ペタジーニは日本球界入りも早く、技術面のみならず精神面でも助言できる立場にあった。「条件(お金)だけが選択肢ではない」くらいのことは言ってもおかしくない。
現在は1球団が外国人を保有する数に限界はないが(一軍登録は4人)、'95年までは保有人数が1球団3人までと制限されていたため、異邦の中で強く結束する傾向がみられた。
'90年代までの名コンビが、体育会系に近い上下関係にあったのはそういう理由からだろう。