野ボール横丁BACK NUMBER
杉内俊哉が背負う巨人の「18番」。
背番号の“物語性”を巡る今昔。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byKYODO
posted2011/12/28 10:31
巨人の入団発表で原監督に帽子をかぶせてもらう杉内俊哉投手。「重たい背番号だということは、理解している。誰かに渡す時にもっと重たいものにしたい」とコメントした
巨人の18番は与えられるものではなく奪うもの。
やはり、本当なのだと思ったものだ。
30年ほど前のことだから、タイトルは忘れてしまったが、巨人を題材にした野球漫画に、ある左投手が、堀内恒夫と背番号18を争うシーンが描かれていた。
確か、その左腕がいったん18を勝ち取るのだが、故障で引退を余儀なくされ、その後、堀内が18を着けるようになるという内容だった。
もちろん、これは空想の話ではあるが、以来、「巨人の18番は与えられるものではなく奪うもの」という印象が自分の中で定着していた。
海老沢泰久の『ただ栄光のために 堀内恒夫物語』というノンフィクションでは、堀内が18番を着けた当時のことについて、こう書かれている。
〈彼のユニフォームの背中には、いまは21ではなく18という背番号がおどっていた。それはピッチングコーチになるまえの藤田が長いあいだつけていたもので、ジャイアンツのエースナンバーだった。藤田がピッチングコーチになると、若いピッチャーはみんなそれが自分の背中に移ることを心のなかで望んでいたが、結局、堀内のものになったのである〉
物語性のある背番号を、どのくらい球団は大事にしているのか?
堀内はルーキーイヤーの1966年に早くも16勝を挙げ、最優秀防御率、最高勝率、沢村賞、新人王などのタイトルを獲得。実力で、巨人のエース番号を手にしたのだ。
だから、清武が澤村の要望を退けたのは、やや残念ではあったが、納得がいった。
もっとも18番を継承した選手すべてが、入団後に変更したわけではない。桑田は、入団と同時に18番を着けている。だが、そのときは、さほど違和感はなかった。甲子園のスーパースターだった桑田は当時、それぐらいの扱いを受けても当然だろうという思いがあったのだ。
エース番号を安売りせず、ある種の権威を持たせるのは、悪くない。それを奪い合うドラマが生まれるし、その番号に風格が備わるようになる。そして、それを夢見る子どもが現れる。
プロ野球は、夢を売る商売だ。数少ない、物語性のある番号。それを大事にすべきだ。
だが今回、その栄光ある巨人の18番は、乱暴な言葉を使わせてもらえば「エサ」に使われてしまった。