野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
“野球の底力”を信じて戦い抜いた、
芸術家・ながさわたかひろの憂鬱。
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byJin Nakamori
posted2011/12/14 10:30
秋に行われた個展『プロ野球カード at ムサビ』でのながさわ。12月17日(土)からは神楽坂のギャラリー「eitoeiko」にて個展『応援/プロ野球カード』を開催予定である(詳しくは本文中のリンク先で)
「僕の慢心がヤクルトの凋落を招いたんですよ」
「そうそうそう。最後は怪我だ不調だ風邪だって呪われたように落ちていって逆転されてねぇ……。何にもなくなっちゃいましたよ。挙句、青木もいなくなっちゃいましたしね。結局ね、僕自身が思い描いた美しい物語に酔ってしまっていたんでしょう。そうすると、ほーらほらほら、出てきた。去年の高田監督が辞任した時と同じ。僕の慢心が凋落を招いたんですよ。戒めようと思っていたのに、勝ちに浮かれて掬われたんですよね。情けない。さらに悪いことにペナント後半はチーム同様、僕の線も何かが狂い始めていました。必死にやっているのは同じなのに、修正ができない。今見返してもわかるんですが、最後の方は絵も似てないし、実にフヌケた絵になっているんですよ」
……発言がいちいちそれっぽいのが、ながさわが選手たる所以なのであるが、とにもかくにも事実としてヤクルトは負け、ながさわの芸術は爆発寸前でプスンと不完全燃焼のまま、2011年のシーズンは終わった。
初対面の若松元監督にプロ野球カードを差し出した!
「これだけやってもまだ完結させてくれない。野球の神様はあまりに残酷ですよ。この作品は『今年負けたからってまた来年やればいいや』、ってものでもない。今年は精一杯やって結果的に順位がついてこなかった。ずっと自分を被らせてきた一場はやっと一軍で投げてくれましたけど、髭なんか生やしちゃって、ノムさんの教えを忘れたのかと。もう心も折れてしまいましたよ。これ以上は体力、いや財力の限界。引退しよう……そう思っていたんです」
そんな失意の中にいたながさわだったが、ふと見返した作品パネルに添えられていたとある人物からの一筆が、未完成だった作品に方向性を示すことになる。
最後の優勝監督、若松勉氏だ。
ほとんどの人が優勝を信じて疑わなかった8月のある日。ながさわは神宮球場に解説の仕事で来ていた若松勉氏を出待ちしていた。仕事を終え、姿を現した若松氏にながさわは何を思ったか、プロ野球カード3試合、計6枚が収めてあるパネルを差し出すと、初対面にもかかわらず「僕もスワローズの選手としてこういう活動をしているんです。“頑張れ”って書いてください」と、何ともご無体なお願いをしていた。