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'96年はPK戦で明暗。タレント集団、雌雄を決す。 

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熊崎敬

熊崎敬Takashi Kumazaki

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photograph byShinji Akagi

posted2008/06/04 00:00

'96年はPK戦で明暗。タレント集団、雌雄を決す。<Number Web> photograph by Shinji Akagi

 『Football's coming home』の合言葉とともに、1996年のユーロはサッカーの母国イングランドで盛大に催された。

 ワールドカップやユーロといった代表チームの大会は、クラブシーンの流れの延長線上にある。当時、ヨーロッパで勢いがあったのは、オランダの強豪アヤックス。クライファート、ダービッツ、セードルフ、デブール兄弟など気鋭の若手が次々と台頭し、2シーズン続けてチャンピオンズリーグの決勝に進出していた。

 ユーロ直前の決勝ではユベントスにPK戦で敗れ、連覇を逃したが、アヤックスの躍進はオランダ代表の充実ぶりも強く印象づけた。彼らはドイツやイタリアと並ぶ優勝候補として、ユーロに臨むことになった。

 一方、フランスの下馬評はさほど高くはなかった。20試合以上無敗を続けていたが、カントナ、ジノラというふたりの大物がメンバーから外れ、2年後のワールドカップを見据えたチームだと考えられていた。

 オランダ同様、フランスには多くの若手が加わっていた。このシーズン、UEFAカップ準優勝に輝いたボルドーのジダンとデュガリー、さらにテュラムやジョルカエフは、イタリアへの移籍がすでに決定。つまり'96年6月22日のアンフィールドには、今後のサッカー界を牽引していくであろう若きタレントがひしめいていた。

 もっとも、対決のタイミングは悪かったようだ。オランダでは、お家芸でもある内紛が勃発。グループリーグ初戦で格下スコットランドに引き分けると、スイスとの2戦目で先発から外されたダービッツがヒディンク監督に反旗を翻し、本国へ強制送還された。このショックが尾を引き、イングランドとの3戦目は1対4と惨敗。当時のオランダ代表は白人と黒人の反目が根深く、食事のテーブルも肌の色で分かれていたという。

 一方のフランスでは、ユベントス行きを控えていた背番号10のジダンに期待が集まったが、大会前に交通事故に遭い、腰を打撲。最悪の状態で、国際舞台のデビューを迎えることになってしまった。

 ともに悩みを抱えたオランダとフランスの対決は、チーム事情を象徴するようにどちらも決め手を欠き、ゴールが生まれないまま時間だけが経過していく。終盤に入るとオランダが猛攻に転じるが、コクーのフリーキックはブランをかすめてポストを直撃。ロスタイムには中央突破に成功したセードルフがキーパーとの1対1を迎えたが、間一髪のところで阻まれてしまった。

 延長に入ると、今度はフランスが流れをつかみかけたが、最後までゴールは生まれなかった。結局、PK戦はセードルフがただひとり失敗し、フランスに軍配が上がる。オランダは力を出し切れないまま大会を去り、準決勝に勝ち上がったフランスもまた、伏兵チェコにPK戦で敗れ去った。

 オランダ戦の翌日、24回目のバースデイを迎えたジダンだったが、王冠を戴くには早かったようだ。とはいえ、恐るべき才能の片鱗は見せつけた。延長前半、ドリブルで果敢に敵のゴール前に潜り込み、敵に倒されながらもフリーになっていたジョルカエフに絶妙なラストパスを通したのだ。ジダンにしかできないような、意外性と美しさに満ちあふれたプレーだった。

 あれから12年の歳月が経ち、アンフィールドのピッチに立った選手たちは、ほとんどが第一線から退いた。だが、いつの時代になってもフランスとオランダの対決はピッチ上が綺羅星の才能に埋め尽くされる。

 フランスのリベリーかベンゼマか、それともオランダのファンペルシーかファンデルファールトか……。6月13日、ベルンのスタッド・ド・スイスでいちばん光り輝くのはだれだろう。

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