レアル・マドリーの真実BACK NUMBER
問題発言の男たち。
text by
木村浩嗣Hirotsugu Kimura
photograph byGetty Images/AFLO
posted2005/11/02 00:00
「みんなディエゴばかり褒めるが、俺の出したパスでゴールが決まったようなもんだ」(エクトル・エンリケ―メキシコW杯のアルゼンチン代表。あのマラドーナの5人抜きゴールについて)。
ある日インターネットで偶然この発言に接した時、思わず吹き出した。これは伝説のゴールに匹敵する伝説のコメントではないか。
サッカーメディアは無味乾燥なコメントであふれている。当然である。フロントも監督も選手もプロである限り、最終目的は勝利でありタイトルである。マスコミ相手にペラペラと会社や職業の秘密を漏らす会社員がいないように、その最終目的を達成するのに“百害あって一利無い”コメントを控えるのが、プロフェッショナルというものだ。
否、「一利」はあるかもしれない。たとえば、放出を渋るクラブや監督をおおっぴらに批判して、ビッグクラブへの移籍話を有利に進めるというのは、利点の一つだろう。問題発言を載せる方も売り上げ増間違いなしだから大歓迎。選手とメディアの利害が一致する数少ない瞬間だ。
記者会見で「なぜベッカムを下げたのか?」と問われ、「見なさい、デポルティボの中盤ドゥシェルとスカローニは必ず攻撃の起点としてのベッカムを抑えてきた。我われの弱点を突いてきたんだ。しかもムニティスが左に流れインターセプトしたボールを受け、ディオゴ──あいつは足元に不安がありドリブルにもろい──のサイドを突破口にしてきた。これをみなさんにわかりやすく図で説明すると……」とやっては、馬鹿正直のそしりを免れまい。このコメントはむろん私の想像だが、魔術師ルシェンブルゴが手の内をばらしてどうする。「いいプレーができてなかったから」、「ケガの影響もあった」、「あれは普通の交代だ」と手短に済ますのが大人の対応というものだ。
とはいえ、監督も人間。口が滑って本音が出たり、見栄なのかサービス精神なのか言わずもがなを口にする。以前、『ルシェンブルゴの魔方陣の謎』でも紹介したが、ルシェンブルゴはそのリップサービスでメディア関係者から大人気だ。
その彼がまたやった。26日の対デポルティボ・ラコルーニャ戦、3−1と敗れた憤まんをメディアにぶつけたのだ。
「チームはもっとできたはずだ。我われにはやる気が足りなかった」、「全力を尽くしてプレーし相手ゴールを目指すべきだ」。この試合、ジダン、ロナウド、ミッチェル、バプティスタを欠く銀河系軍団には、ルシェンブルゴの指摘のとおり無気力なプレーが目立った。たとえば、見え見えのシュートコーナーで誰もマークに走らず、フリーでセンタリングさせて失点というシーンは、集中力の欠如以外の何者でもない。選手の側からも「やる気が足りない。もっと足を入れなきゃ駄目だ」(パブロ・ガルシア)、「100%の全力を尽くしていない」(ディオゴ)と自責の言葉が出てきた。
ルシェンブルゴは正しい。正しくなかったのはマスコミの前でチームを批判したことだ。不満があればロッカールームで怒鳴ればいい。注文があれば練習の時に言えば済むことだ。怠慢プレーによほど腹に据えかねたのだろう。
が、この「火」に「油」を注ぐ者が身内に現れた。
テクニカル・ディレクターのアリゴ・サッキと名誉会長のディ・ステファノだ。しばしば問題を内々で処理できず、逆に、騒ぎを大きくしてしまうのは、メディア無くしては成長し得ないレアル・マドリーの宿命だろうか。
サッキが「今の状態ではスペインでもヨーロッパでも戦えない」と言えば、ディ・ステファノは「練習して、足を入れて、命をかけ、前に出て、仲間を助けるべきだ」と選手の誇りを疑うだけでなく、「よそ者ばかり獲ってきて酷いシーズンを送ることは許せない。彼らはクラブにダメージを与えた後、責任逃れするだけだ」と、クラブの補強方針にまで言及した。
さらに、火を放った当人が再登場。盛大にマスコミの前でぶち上げる。
「本当にリーグ優勝したければ、もっとチームのために尽くすべきだ」、「レアル・マドリーの選手だから、いつでも勝てると思っていたら大間違いだ」とチームを再び非難し、「もしクラブが私のことを嫌いなら辞めさせる権利がある」と啖呵を切ってみせた。
そうして迎えた29日のベティス戦。2−0で勝利すると、言われっぱなしだった選手たちの中にも反撃する者が現れた。
「この勝利は個人的にディ・ステファノとサッキに捧げたい」と皮肉ったのは誰あろう、グティである。「うまく行かないとき、批判は外から降りかかってくる。クラブの内部からそれを思い出させてもらう必要はない」。彼の発言はもっともである。内部の人間なんだから、問題や不満があれば直接言えばいいのだ。マスコミを使ってあおることはない。
もし今のレアル・マドリーで大胆な発言をする選手がいるとすれば、それはグティである。ちょっと前まで歯に衣を着せない発言といえば、ロベルト・カルロスだったが、今はそのプレー同様慎重になってしまったからだ。
「ベッカムはハンサムで金髪だからレッドカードをもらった」、「バルセロナには楽勝する」、「(批判した選手に対し)俺のことばかりしゃべるのは好きだからだろう。たぶんバイセクシャルだと思う」という挑発的なパブロ・ガルシアも面白いが、第2キャプテンであるグティからは、選手代表の立場から、より直接的なコメントを聞くことができる。
ロナウド、ロベルト・カルロスらブラジル軍団が、“ゴキブリポーズ”で下品なゴールの祝い方をしたときは、「彼らはチームが一体となるような普通の祝い方をしない。参加したくない」とピシャリ。親善試合とデビュー戦で2試合連続オウンゴールを決めたウッドゲートについては、「面白い奴だ。このまま行けば得点王になれる」とユーモアもある。
“問題発言”の翌日、グティはまたもやメディアの前に現れた。釈明会見である。
「(ディ・ステファノとサッキは)偉大な人物でサッカーの賢者である」、「彼らの言葉で傷ついたわけではない」、「我われ選手は批判を甘んじて受けなければならない」、「フロント、名誉会長、テクニカル・ディレクターのすべてに我われは支えられている」などなど。似合わない優等生発言のオンパレード。この発言と前日の発言のどっちが本音か、どっちが面白いかは明らかだろう。しかしメディアから火がついた騒動はメディアによって鎮静化する。これにて一件落着だ。
ディ・ステファノ、サッキ、ルシェンブルゴ、グティ、パブロ・ガルシア、ロベルト・カルロス、ロナウド(彼の問題発言は必ずブラジル代表と合流中)、それに会長、フロレンティーノ・ペレスと、レアル・マドリーには口達者が多く、報道するメディアにも事欠かない。
ルシェンブルゴの怒りからグティの釈明までたった1週間。煙があっという間に大火事になり、瞬く間に消火され、次の火種を探す──毎週これの繰り返しなのだ。スペインのサッカーメディアは(もちろん私も)レアル・マドリーに足を向けては寝られない。