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新チャンピオンが鈴鹿で見せたもの 

text by

海老沢泰久

海老沢泰久Yasuhisa Ebisawa

PROFILE

photograph byMamoru Atsuta(CHRONO GRAPHICS)

posted2005/10/19 00:00

新チャンピオンが鈴鹿で見せたもの<Number Web> photograph by Mamoru Atsuta(CHRONO GRAPHICS)

 今年のF1日本グランプリは、忘れかけていたF1の面白さを久しぶりに思い出させてくれたレースだった。ここ数年のベストレースといっていいのではあるまいか。

 主役は、むろん、エンジン交換のペナルティで予選17位からスタートしながら、最終周の1コーナーでフィジケラをかわして優勝したライコネンだが、手に汗握る昔ながらのF1を思い出させてくれた陰の主役はアロンソだった。

 鈴鹿がテクニカルできわめて抜きにくいサーキットであることは誰もが知っていることだが、そこで彼は2度にわたってM・シューマッハーを抜いた。1度目は、20周目のシケインでアウトから、給油後の2度目は、33周目の1コーナーでこれもアウトから。そして49周目には、ウェーバーを1コーナーでインから抜いて3位を奪った。いずれも、すばらしいテクニックと断固たる決意に裏打ちされた圧倒的な抜き方だった。彼も予選で雨にたたられて、16位からスタートしたのである。ライコネンには給油で先に行かれてしまったが、もし2台が最後まで前後で走っていたなら、おそらく今年一番の壮絶な闘いが見られたことだろう。

 じつをいうと、ぼくはこれまでアロンソにほとんど何も感じなかった。彼は今年、F1史上最年少でチャンピオンになったが、そのなり方がもうひとつもの足りなかったからだ。F1を見るようになってもう20年になるが、そんなこと初めてだった。

 新鋭のドライバーが台頭して初めてチャンピオンになるときというのは、興奮であれ、それまでのチャンピオンが倒されることに対する反発であれ、その台頭ぶりに必ず何かを感じるものだ。セナにも、ハッキネンにもビルヌーブにもヒルにも、ぼくはそのときどきで心を動かされた。しかし、アロンソには本当に何も感じなかったのである。今年のチャンピオン争いは、トップを走っていたライコネンが最終周にマシントラブルが起きてストップし、アロンソが棚ぼたの優勝をした第7戦のヨーロッパグランプリで決まったといっていい。シーズン中盤にライコネンが出遅れたために、その時点でポイントがアロンソ59、ライコネン27となったからだ。32ポイント差というのは、1位10点、2位8点という現在のポイント制では、ライコネンがいくら勝っても、アロンソが2位になっているかぎり、17戦かけなければ逆転できないのである。

 そして、アロンソは、そのあたりから圧倒的に速くなってきたライコネンに対して戦いを挑むことをやめ、そのリードを保つために2位狙いにはいり、口でもそういうようになって、じっさいにそうしたのである。最後の最後でならともかく、シーズンがまだ半分も終っていないうちから。

 自分のマシンが劣っていると分っていても死にもの狂いで闘うドライバーは数多く見てきたが、こんなドライバーは初めてだった。それを冷静な計算だという人もいたが、シーズンの半分以上も2位を走ってチャンピオンになるなどというドライバーに、何を感じればいいというのだろう。

 それがアロンソに対するぼくの印象だった。しかし、日本グランプリでその印象がすこし変わったのである。すくなくとも、日本グランプリに限っていえば、あれはチャンピオンになる資格のある走りだった。

フェルナンド・アロンソ

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