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上野由岐子の413球。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2008/08/22 00:00

上野由岐子の413球。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

 長年の願いがかなった瞬間、選手たちはひとつの塊になり、喜びを爆発させた。その中心には、世界に誇るエースがいた。

 「金メダルのためなら、何回でも登板します」

 北京五輪開幕を前に、彼女はそう語っていたという。

 上野由岐子は、その言葉を北京で実行してみせた。

 しかも、想像を大きく上回る投球を見せて。

 上野は、世界屈指の投手として国内外で認められてきた。119kmを記録するストレートは、世界最速といわれる。ストレートばかりではない。手元で微妙に変化するボールを交え、チェンジアップは内外角へ丁寧にコントロールされる。

 上野を擁しながら、日本は優勝の本命とは見られていなかった。

 「上野がいくらよい投手でも一人ですべての試合を投げるわけにはいかない」。上野が登板できないとき、あるいは連投で疲労しているとき、日本が勝つのは厳しいと思われていたからだ。

 だがそうではなかった。

 上野は20日、準決勝のアメリカ戦、3位決定戦のオーストラリア戦ともに先発完投。投球数は21イニングで318球を数えた。

 そして今日の決勝、アメリカ戦でも先発完投。この試合は95球。2日間で、413球を投げ、日本を優勝に導いたのだ。

 上野が真のエースに成長したのは、アテネの苦い思いがあったからだ。

 4年前、22歳でアテネ五輪に出場した上野は、不完全燃焼のまま大会をあとにした。史上初の完全試合を含め3勝をあげたが、ここ一番で勝利することができず、目標としていた金メダルには届かなかった。先輩投手に囲まれての大会を、「まわりに頼っていた」と、後悔した。

 以来、「本当のエースになろう」と決意した。アテネの翌年にはアメリカに短期留学し、投球術などを学んだ。もともと手を抜かない選手だったが、周囲が認めるほど、厳しく打ち込むようになった。

 その4年のすべての時間が、北京での投球にこめられていた。

 また、ソフトボールは、今回をもって五輪種目から外れる。

 上野の気迫のこもった投球には、最後の五輪への思いもこめられていたのではないか。

 いや上野ばかりではない、チームすべての選手のプレーに、最後の大会への思いがこめられているようだった。

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