北京五輪的日報BACK NUMBER
4年分の思いを乗せて。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
posted2008/08/25 00:00
北京での20日間を終えて、またロンドンを目指す 閉会式の中継が始まっている。
入り口近くの大画面に、ボランティア・スタッフが群がっている。
20日前、北京に着いて早々、彼らの親切心と笑顔に驚かされたのを覚えている。一様に、ものすごく気を遣っているのが印象的だった。
それが大会の半ばすぎだろうか、不機嫌な人たちが目立ち始めた。カウンターでうたた寝する姿も目につくようになった。一人のボランティアと話した。
「1日12時間、ここで仕事をします。2交代制です。休みはありません。志願しましたがこんなにきついとは思わなかったです」
楽ではないはずだ。訓練されての過剰な笑顔を振りまいていればなおさらだ。だから不機嫌な様子を見て、しかも仕事の事情を知ったうえではかえってほっとした。
人間らしく感じられたから。
今、彼らはとても楽しそうだ。
「やっと終わりますからね」
そう、北京五輪は終わる。
中継を観ながら、ふとトリノ五輪のカーリング日本代表を思い出す。彼女たちは目標としたメダルには届かなかった。だがその戦いぶり、とくに試合で見せる表情はとても印象的だった。
直後、スキップとしてチームを引っ張り続けた小野寺歩にインタビューする機会があった。小野寺は言った。
「オリンピックで勝つんだ、そういう情熱が現実を引っ張ってきたような4年間でした。4年間、オリンピックのことを考えない日は1日もありませんでした」
ああ、あの表情はスポーツの真剣勝負の場にこそ生まれる魅力を体現していたのだ。そんな風に思った。
「五輪は出場することに意義がある」。それは違うと思う。
4年に一度の大会での結果を求めて、1日1日練習を積み重ねる。練習方法が正しいか吟味し、戦略を練り、必要な技術を身につける。真摯に勝利を追求する。
4年の時間が、試合の一点に集中する。それが真剣勝負の場に生まれる表情となる。積み重ねた努力の裏づけのないとっさの真剣とは、おのずと表情は異なる。
だからこそ、表情に惹きつけられる選手たちがいた。