MLB Column from WestBACK NUMBER
メジャーで求められる監督像の変化。
text by
菊地慶剛Yoshitaka Kikuchi
photograph byREUTERS/AFLO
posted2007/12/04 00:00
一体どうなっているのだろうか──
前回のコラムで、アレックス・ロドリゲス選手とヤンキースが再契約で合意に達したとお伝えしてから2週間が過ぎているのに(11月30日現在)、未だ正式発表に至っていない。結局、契約の最終調整に代理人のボラス氏が介入し、通算本塁打の歴代記録者を抜くたびに特別ボーナスが支払われるオプションを加えることに成功し、 10年の総額は3億ドルを超えたと報じられている。
「ヤンキースに契約解除を申し入れた時点では、ロドリゲスもボラスに同意していたはず。しかし他球団のオファーが予想外に低調に終わったので方向転換したのだろう」
ESPNの野球アナリストの1人は、今回のロドリゲス選手サイドの動きを、こう解説している。確かにロドリゲス選手の“ボラス氏外し”の行動も、今となってはボラス氏が仕組んだ高等戦術だと受け取られてもおかしくはない。自分の浅はかさ、青臭さを反省するとともに、改めてビジネスとしてのプロスポーツ界の恐ろしさを痛感している。
さて前置きが長くなってしまったが、今回はメジャー球界の“名監督”像について考えてみたいと思う。きっかけはジョー・トーリ氏のドジャース監督就任会見でのことだった。
「もう一時代は終わっている。現在の監督は、まさに育児と同じように『私が言ったのだからこれをしなさい』ということは通用しないと思う。チームの決定事項、目標に対し、いかにお互いが理解しあえるかを、選手たちに説明していくことが重要なことだと考えている」
メジャーで26年間指揮を執り、すでに殿堂入り確実といわれるトーリ監督は、一般会見後に行った番記者との個別会見で以上のように話した。時代の変遷とともに選手たちの素養が変化している中、監督に求められる質というのも自ずと変わらざるを得ないということが窺い知れるだろう。
確かに、今年ロッキーズを球団史上初のワールドシリーズ出場に導いたクリント・ハードル監督も、トーリ氏と同じタイプの監督だったと思う。彼はキャンプ中に選手の前でシーズンに向けての確認事項を伝えただけで、シーズン中は選手交えてのミーティングをほとんど行わなかったという。
「野球をやるのは選手たちだ。我々は選手たちがいかに気持ちよくプレーできる環境を整えるかを考えるのが役目だ」
ハードル監督は、シーズンを通して同じ言葉を繰り返してきた。松井稼頭央選手に聞いても、監督やコーチから野球に関する支持や指導はまったくなかったと言う。選手を和ませるために世間話はするものの、あくまで選手たちを信頼して自主性に任せるやり方を貫いてきた。ハードル監督が築いた環境があったからこそ、今年の松井選手の活躍や多くの若手選手の台頭を導き出せたのかもしれない。
来シーズンからメジャーで初采配を振るうロイヤルズ入りが決まったトレイ・ヒルマン監督も、同じ系列に並ぶ監督だと思う。10月22日に行った就任会見では、ヒルマン監督も真っ先に選手との対話の重要性を口にしているのだ。
「人生と同じように、監督というのも常に適応性が大切だと思う。日本でも最初の1年間は自分のやり方は成功しなかったが、いろいろなことを学びながらチームにとって最善の方法を模索していった。アメリカに戻ってきても同じだと思う。これからいろいろチームについて学びながら自分自身を適応させ、チームが進むべき方向を見つけていきたい。そのためにも重要なのが選手とのコミュニケーションだと思うし、常に対話を続けていきたい」
長年“弱小チーム”の位置に甘んじてきたロイヤルズだけに、すぐに顕著な変革が実現できるとは思えないが、来シーズン以降のヒルマン監督の指揮ぶりは、注目していきたいところだ。
今回のヒルマン監督のメジャー移籍も、日本ハムを2年連続で日本シリーズに導いた手腕が評価されたからこそ。つまりメジャー球界に限らず日本球界においても、時代の変遷とともに選手の素養は変わってきているため、メジャー流の監督像が適するようになっているのだろう。現在の外国人監督人気の傾向も決して偶然ではないということなのだろう。
現在もアマチュア野球では多少なりとも昔ながらのスパルタ方式が息づく日本で、選手の目線に立てるような、メジャー流の監督が登場するのは難しいのだろうか……。