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まばゆいベテランたち。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byShino Seki

posted2009/04/03 07:01

まばゆいベテランたち。<Number Web> photograph by Shino Seki

 フィギュアスケートの世界選手権が終わり、冬季競技のシーズンも幕を閉じた。世界選手権をはじめ国内外の大会を見てきて思ったことがある。

「長野五輪はやはり特別だったのだな」

 1998年の長野が冬季五輪で日本史上最高の好成績をあげた大会だったからばかりではない。日本人として屈指のアスリートがそろって出ていた大会であることにあらためて気づかされたからだ。

 今冬の各競技の世界選手権で、日本は近年にない活躍を見せた。金メダルがノルディック複合団体、ジャンプ男子団体、モーグル(2個)、スノーボード・ハーフパイプの計5個。さらに銀2、銅が2でメダル総数は9個にのぼる。トリノ五輪前年は金1、銀1、銅2の計4個で、そのうち3つはスピードスケートによるものだから、数もだが、メダルを獲得した競技を見ても、全般に好成績だったといえる。

 それもさることながら、現場で感じたのが長期間にわたって活躍してきた選手たちの存在感である。

 モーグルの上村愛子やジャンプの岡部孝信ら金メダルを獲得した選手だけではない。モーグルでは、長野の金メダリスト里谷多英が故障を抱える中で出場した世界選手権でメダルまであと一歩の入賞。思わず海外の選手が「うまいなあ」とつぶやくほどだった。やはり長野の日本代表だった附田雄剛も切れ味鋭い滑りを披露した。

 スピードスケートの岡崎朋美もまたシーズン終盤にワールドカップ入賞を果たすなど着実に調子をあげ、今も第一人者であることを示した。

 彼らは10年以上にわたり活躍してきた選手たちだ。競技をまたがり、同時期にこれほど「ベテラン」が目立つのは、過去を振り返っても異例のことだ。

 彼らは皆、長野五輪の日本代表である。だから長野五輪は特別だったのだと感じさせられたのだ。

 第一線に彼らが居続けることは、ときに批判の対象ともなった。もっとも大きかったのは、荒川静香の金メダルのみに終わったトリノ五輪後のことだ。「世代交代の遅れ」「若手の成長不足」と指摘され、「五輪出場に回数制限を」などという不思議な意見も飛び出した。

 非難が的外れだったことは彼らの今シーズンの成績が物語っている。

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