今週のベッカムBACK NUMBER
レアル・マドリーで過ごした「最悪の15分間」。
text by
木村浩嗣Hirotsugu Kimura
photograph byPICS UNITED/AFLO
posted2004/02/12 00:00
ベッカムはついに芝生の上にしゃがみ込んでしまった。
血の気が失せた蒼白な頬、きつく寄せられた眉毛、眉間にできた皺、噛み締められた唇、訴えるような視線――。端正な顔は歪んでも美しかったが、苦痛の表現はやはり見ていて辛い。
かつて足首をスパイクされ、4針縫う傷から血を流しても、平然とプレーし続けた男が、この日は雄弁だった。眉間を押さえ、両膝に手をつき体を折り、首を「ノー、ノー」というように振り、胃を手で押さえて走り、その合間に、チラチラと時計を見た。ただごとでは無かった。
7日の対マラガ戦、後半30分からの約15分間は、レアル・マドリーで過ごした最も辛い時間ではなかったか。
ベッカムは数日前から軽い食中毒にかかり、お腹を壊していた。1分が1時間にも感じられるあの感覚は、誰しも経験があるだろう。断続的な痛みを伴った“生理的要求”(わかりますね)に、脂汗が噴き出し、体が震える……。
このままトイレに行けなければ、一体どうなってしまうのか? 思わず私も手に汗を握っていた。
だが、ケイロス監督は残酷にも、そんな男をグラウンドに放置した。
交代枠はまだ1つ残っていた。ベンチにはエルゲラ、グティと理想的な交代要員が2人もいた。試合は残り15分で2対1のリード。一点差で逃げ切るために、ボランチを代えるのは非常に理にかなった判断に思えた。いや、そんなことより、病気の選手をプレーさせ続けるメリットは一体何なのか?
レアル・マドリーにとって最大の防御とは、ボールキープのはずだ。テクニシャンたちが自在にパスを回して時間を奪う。これこそ、この場面で選択すべきプレーだった。が、ベッカムはもう走れなかった。後半30分から37分まで彼は一度もボールを触っていない。イージーで安全なパスを受けて出す。そんな簡単なことさえ、足が止まっていた彼には不可能だったのだ。
ケイロスはベッカム交代がチームに与える心理的悪影響を恐れたのかもしれない。
「選手を交代させると、『試合は終わった』と残りの選手の気が緩む。逆に、相手チームは『失うものがない』とかさにかかって攻めてくる」と、最近のインタビューで語っている。実際、この試合でも2-0と楽勝ペースから、ラウールをポルティージョに代え、フィーゴをヌニェスに代えたとたんに1点を失い、マラガペースになった。
しかし、ベッカム抜き、実質的に10人でプレーすることの悪影響は、そんな心理的なものよりも遥かに大きかった、と私は思う。
「ベッカムはリズムと時間が必要な選手」と、試合後、交代しなかった理由をケイロスは説明したが、これは「なぜ体調の悪いベッカムを使い続けたか?」という疑問の答えにはなっていない。本音は、“代えるほどではない、と判断した”といったところか。
監督だってミスをする。が、それをマスコミの前で認めるほど、プロの監督は無邪気ではない。
ついに試合終了。苦行は終った。が、ベッカムは、一目散にトイレに駆け込むような真似はしなかった。
いつものとおり、相手チームの選手と握手をし、シャツをプレゼントし、スタンドに向かって拍手をしてから、紳士的に、優雅にロッカールームへ消えた。そうして着替た後には、顔を歪め腹を手でさすりながら、マスコミをアテンドした。それが彼の美意識であり、プロ意識なのだろう。
「交代を要求するのは嫌いだ。だけど、あの場面なら代えられても気にしなかった」
この健気なコメントは、ファンとマスコミだけでなく、ケイロス監督にも好意的に受け取られたに違いない。采配を批判することなく、上手に苦痛の強さを訴えているからだ。
下痢をして株を上げる――。こんな選手はこれまでいなかった。