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復活参戦5年目のよろこぶべきニュース。 

text by

海老沢泰久

海老沢泰久Yasuhisa Ebisawa

PROFILE

photograph byAFLO

posted2004/02/12 00:00

 以前にくらべて気を入れて見なくなったものに、F1がある。

 以前というのは1980年代後半で、ホンダエンジンが圧倒的な強さを誇っていたころだ。ドライバーは、ネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセル、アイルトン・セナ、アラン・プロストといった一級品が揃い、優勝しなければそのことがニュースになったぐらいだった。おまけにぼくは、当時のホンダF1チームを取材するために彼らと一緒に世界中のサーキットを飛びまわっていたので、ほとんど身内のようなつもりでレースを見ていたのである。

 そのホンダが1992年かぎりでF1から撤退し、'94年の5月にセナが死んでしまうと、僕のF1熱は下降線をたどった。セナのことも、彼を直接知っていたこともあって、身内のように思っていたのである。テレビで事故の瞬間を見たときは本当にショックだった。

 だが、時がたち、2000年になると、その熱が復活しかけた。ホンダがF1にまた参戦するというニュースをきいたからである。圧倒的な強さを誇っていたころを身近に見ていた者としては、当然同じことが再現されるのだろうと思った。

 ところが、結果は周知のとおりで、優勝はおろか、10位あたりをのろのろと走るのがやっとというありさまでの登場となったのである。身内のように思っている身としては、見ていて恥ずかしいばかりだった。熱の復活は一瞬で、復活前よりもいっそうひどく冷めてしまったといっていい。

 その状態がいまもつづいているわけだが、そのあいだに冷めた頭でいつも考えていたのは、1980年代にF1をやっていたホンダのエンジニアたちのことだった。

 彼らはF1で常勝チームになる以前の'84年に、ヨーロッパのF2で11戦中9勝して、他のF2チームに勝ちすぎだと非難されたことがあった。そのときのことを、当時の責任者で、のちにホンダの社長をつとめた川本信彦氏はつぎのようにいっていた。

「いろいろいわれましたよ。勝ちすぎだとか、目の色変えてやりやがって、おめえらガキみてえだとかね。でもぼくはね、レースってのはそもそもガキだっていうんですよ。そこらでガキが二人で、どっちが速いか競走しようぜといってパッと走り出すじゃないですか。あれと同じですよ。理屈なんかないんですから。レースの世界で、バランスとか協調とかこきやがったって、そんなこと知らねえとぼくは思ってますよ」

 ところが、2000年に復活参戦したホンダF1チームの責任者は、10位あたりをのろのろ走ることしかできないのに、レース後にテレビのインタビューを受けると、口惜しそうな顔も見せずにいつもニコニコ笑いながら質問に答えていた。むろん内心はちがったのだろうが、それを見てホンダのエンジニアもずいぶん変わったなと思ったのだった。ありていにいえば、これじゃあ勝てないだろうと思ったのである。すくなくとも、勝つためにしゃかりきになっているという様子がまったく見えなかった。

 だが、それから四年後の今年、BARホンダのジェンソン・バトンが、2月3日のバルセロナでのテストで非公式ながらコースレコードを記録したというニュースが飛びこんできた。その翌日には、佐藤琢磨がそのレコードをさらに上回ったという。復活参戦5年目にして初めてよろこぶべきニュースといっていい。

 はたしてホンダの新エンジニアたちが昔の人たちのようにしゃかりきになったのかどうか、今年は久々にそれを見きわめようと思っている。

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