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2010年のモータースポーツ界を憂う。
若者のクルマ離れには「レース活動」。 

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西山平夫

西山平夫Hirao Nishiyama

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photograph byShoichi Sudoh/AFLO

posted2010/01/24 08:00

2010年のモータースポーツ界を憂う。若者のクルマ離れには「レース活動」。<Number Web> photograph by Shoichi Sudoh/AFLO

ユーロビートが大音量で流れ、大観衆が見守っているスーパーGTのレース会場。市販車を改造したモンスターマシンがサーキットを疾走する

「フェラーリ・ベルリネッタの排ガス吸ったら死んでもいい」

 たとえばモータースポーツ志向の若者に訊いたところで「ベッテルみたくなりたいッス!」と言いこそすれ「フェラーリ・ベルリネッタの排ガス吸ったら死んでもいい」とは言いますまい。

 あるいは小林可夢偉や中嶋一貴がモータースポーツ界へ入門する時に、憧れのレーサーはいたにせよ、憧れのクルマなどなかったに違いない。もっと言うなら憧れのレーサーさえいなかったかもしれない。

 昨年末にインタビューした中嶋一貴は「高校の時までは“部活”みたいな感じでレーシングカートやってましたね」と言っていた。こういう世代がいま“クルマ離れ”している若者の中核にいるということなのだ。彼らは十代から海外に出てキャリアを積んできているが、一貴も可夢偉もつい最近まで規則上レンタカーを運転できなかった。そういう環境下で、彼らが純粋にクルマそのものに憧れを持てるかどうか……。

今こそモータースポーツ促進を若者のクルマ離れ対策に!

 ここで筆者の持論を展開すれば、「今こそモータースポーツを“若者のクルマ繋ぎ”へのツールにしたらいかがでしょうか?」という提案となる。

 ゴーカートをモータースポーツの登竜門とするなら、その育成プログラムの中に早くから日常使いを意識した自動車免許に準ずるようなカリキュラムを組み込む。自然、クルマに対するアレルギーもなくなるだろうし、免許がとれる適正年齢になった時にその移行もスムースにまいろうというもの。

 むろん誰もがプロになるわけではないけれど、ゴーカートを齧ることでクルマの“素養”が培われるはず。そういう公共の場を提供することが自動車メーカーの急務ではないか、と思う。

 自動車メーカーは「まず製品としてのクルマありき」でいつも話を始めるけれども、まずそのクルマそのものへの憧れを育むという意味での「モータースポーツありき」へと頭をシフトしないと、この閉塞状況は打破できないのではないかということ。

 我田引水というなかれ。「鶏(クルマ)はありふれているのだから、まず卵(モータースポーツ志向若年者)を育てるべし!」は、正論ではないかと本気で思っている。

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