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Vol.1 栗原恵 真のエースへの道 

text by

米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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photograph byToshiya Kondo

posted2007/08/07 00:00

Vol.1 栗原恵 真のエースへの道<Number Web> photograph by Toshiya Kondo

 アテネ五輪以来3年ぶりに、栗原恵(パイオニア)が、今年全日本のコートに帰ってきた。8月3日に開幕したワールドグランプリの初戦・カザフスタン戦で、栗原はチーム最多の19得点を挙げ、日本を初戦勝利に導いた。

 柳本ジャパンがスタートした2003年。栗原と大山加奈(東レ)の当時19歳の大型エースコンビは、ワールドカップで大活躍し、一躍ヒロインとなった。栗原は、鞭のようにしなやかなフォームから打ち下ろすキレのあるスパイクと、スピードを備え守備も無難にこなす器用さが光った。ただ、パワーでブロックを打ち破る大山に比べると、非力さは否めなかった。

 しかし、この日の栗原のスパイクは、“ドシン”と重たく響き、相手のブロックやレシーブを弾き飛ばす力強さがあった。

 「自分では、ずっとやっているので(パワーがついたという)実感はあまりないですけど、体を強くするためにウエイトトレーニングや走り込みをやってきて、それがパワーにつながればいいなという思いはありました」

 ユニフォームの背中の文字は「KURIHARA」。昨年、全日本候補に選ばれた時に用意されたユニフォームは「MEGU」だったが、今年、本人の希望で「KURIHARA」となった。

 「(名字の方が)ピシッとしているというか、重みがあるじゃないですか。人それぞれいろいろ(考え方が)あるとは思うんですけど、私としては、ユニフォームということで、ちゃんとした形にしたいと思ったので」

 “プリンセス・メグ”という愛称には、以前から違和感を持っている様子がうかがえた。お姫様扱いよりも、ちゃんとアスリートとして見てほしいという意志が、ユニフォームの文字にも反映されたのだろう。

 カザフスタン戦で、得点を決めるたびに拳を握りしめる姿は、ひ弱な“プリンセス”ではなく、凛々しかった。

 栗原の復帰によって、チームの戦術の幅も広がった。カザフスタン戦では、栗原のセンターやライトからのバックアタックが効果的に決まった。

 セッターの竹下佳江(JT)は、試合の序盤、荒木絵里香(東レ)、庄司夕起(パイオニア)のセンター線を多用した。たとえ決まらなくても使い続けることで、相手ブロックがセンターをマークして偏り、空いたスペースに栗原が後衛から飛び込んで得点を重ねた。

 フルセットの激戦となった第3戦のキューバ戦では、敗れたものの、栗原は度々レフトから、キューバの高いブロックをこじ開けてスパイクを決めた。一方で、どうしても取りたい1点を、エースに託しきれない場面もあった。第5セットのラリー中、後衛だった栗原は右手を挙げてボールを呼んだが、トスは上がらなかった。この日のバックアタックは、フェイントが2本決まっただけ。まだ信頼を得るには至っていない。

 キューバ戦の後、栗原はこう語った。

 「バックアタックは、ブロックやレシーブでコースを読まれて、初戦のようには決めきれなかった。相手にデータを集められる中でどういうプレーができるか、これからつめていきたいと思います」

 日本の理想はコンビバレーであり、決して一人に頼るバレーでは勝てないが、ここぞという時に頼れるエースがいるといないでは大きく違う。特に、前衛の攻撃が2枚になるローテーションで、栗原がバックアタックを決められれば、日本の弱点を一つ克服したことになる。

 3年ぶりの全日本、そして今大会前の欧州遠征で腰を痛め、準備が万全でなかったことを考えれば、この3連戦は十分及第点と言えそうだ。しかし今後は相手のマークもさらに厳しくなり、第2週はブラジル、第3週はロシアという世界トップとの対戦も控える。そこで存在感を示せるか。日本のエースとしての真価が問われる。

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