北京をつかめBACK NUMBER
柔道とJUDOの軋み
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byTsuyoshi Kishimoto
posted2007/09/26 00:00
9月は、日本柔道界にとって、憂鬱な出来事が続いた。10日の国際柔道連盟(IJF)総会で、山下泰裕氏がIJFの教育・コーチング理事に落選。日本人理事がいなくなるのは、日本がIJFに加盟して以来初めてのことだ(翌日、新設された指名理事に上村春樹氏が選出されたが議決権はない)。
13日に開幕した世界選手権では、メダルの数で見れば、男女あわせて3個の金メダルを獲得し国別でブラジルとともに首位、総数では単独首位だったが、男子は過去最低のメダル2個に終わり、金メダルの最有力候補だった鈴木桂治、復活を期した井上康生がともにメダルを逃がした。とくに、両者の敗戦が、日本サイドから見れば、微妙な判定によるものであったことが、すっきりしない気分にさせた。
これらの背景にあるのは、柔道とJUDOの違いである。
日本にとっての柔道と、海外の柔道=JUDOが違うということは、以前からいわれてきた。
しっかり組むことから始めようとする日本、激しい組み手争いから始まる海外、といったスタイルの違いにはじまり、国内と海外では審判の判定基準も違う。そもそもルールが異なるのである。
鈴木、井上が敗れた試合は、それが現れたものだった。国内の大会であれば、鈴木と井上の敗戦にはならなかっただろう。
柔道とJUDOの違いは、今回の判定ばかりではなく、これまでにもカラー柔道着や延長戦導入の是非などでみられたが、畳の上ばかりではない。それがはっきりしたのが、理事選だった。
山下氏が落選した総会で新会長に就任したオーストリアのマリアス・ビゼール氏は、その夜、今まで2年に一度だった世界選手権の毎年開催や世界を転戦するグランプリの開催を決定した。同氏は、柔道の商業化を推進したい意向をもっている、と以前からいわれている。つまりはプロ化である。
実業団や大学を中心に発展してきた日本柔道界にとっては、プロ化は積極的に望む方向ではない。
どういう競技であるか、どういう将来像を描くか、根本から両者は対立しているのだ。
山下氏の落選は、それ以前からのさまざまな対立もあっただろうが、方向性の違いもまた大きな要因であり、支持を得られなかったといえる。
こうした状況に対する日本の見解は、「海外は柔道がわかっていない、理解が不足している」というものだ。鈴木の敗戦直後、男子チームの齋藤仁監督が口にした「これは柔道じゃない」という言葉も、同じ思いから発せられている。
柔道発祥の国としてのプライド、それが崩れていくジレンマが、そこには現れている。
高校の部活で柔道をかじり、その後も柔道を見てきた立場からすれば、そのジレンマは、わからないでもない。だが、一方で、こう思う。
日本で生まれた柔道は、世界の隅々に普及した。それにつれ、その地域のカラーをまといはじめた(ここまでJUDOとひとくくりにしてきたが、国によって、それぞれに小さな違いが、実はある)。それは柔道にかぎらず、野球、サッカー、あらゆる競技が、そうではなかったか。
それは当然のことであり、しかたのないことなのだ。いや、普及の証と捉えれば、喜ばしいことと考えるべきだろう。
むろん、ときに政治力を駆使してでも日本の柔道界の主張を積極的に行なうことは大切である(これまでは不足していた感があるが)。さらに、日本が本家たるプライドを誇示するために必要なのは、ルールや判定基準の違いを乗り越えて、圧倒的な力をみせつける、それしかない。組ませてもらえないなら組めない中で技を繰り出す術を身につけること。そのよいお手本がある。谷亮子である。